アチェ地震を起こして十何万人にもの人間を虐殺するには、どういう用意が必要であろうか。まず地質学者と電気技術者が要ることは分かる。そしてやはり自分は見つからないと思って設備につく現地の作業員と。


大量の運動員を絡め誘引してきた、数世紀の潜入活動であった。


野口雨情の童謡に、しょうじょうじのにわは つ つ つきよだ みんなでてこいこいこい おいらのともだちゃ 
まけるな まけるな おしょうさんにまけるな こい こい こい こいこいこい みんなでて こいこいこい
しょうじょうじのはぎは つ つ つきよにはなざかり
というのがあった。


謡曲であるが、「星の降る夜は」
「月がとっても青いから、遠回りして帰ろう」
「一夏の体験」などと引用すると、あまり軽率な語呂合わせで白ける人がおられるかもしれない。
ちょっと難しい所だが、まんざらでもないのである。


ここに宝の山があるぞ。 掘れ。
「好きなんたから、大事なだから」というのは「星のフラメンコ」であった。
歌われている薩摩の西郷輝彦さんや他の歌手の方々とは必ずしも関係のない話である。
誤解誹謗のないように。
とにかく、「夏、体験物語」というようなものが延々と繰り出されてきたのである。
「星屑の町」「星影のワルツを踊ろう」「見上げて御覧」と大ヒット曲ばかりで、なかなか勇猛盛大なパーティグループであったということではなかったであろうか。


そういうわけで、明日はマンタと飛行だな、と本当に皆で誘い合って、「実相寺の森」へグループピクニッキングをしに向かい歩いたものと思う。
夏の夜の観測点、というように、夏を特定した記録があるのである。
頻度が高かった、とある。
こうして、星の記憶というもののスタートがあり、他の場合と同じように、いろいろな展開が行われてきたのであろう。


いろいろないわくの子孫の方々は、昔のことは軽く考えるべきである。
今ではわからない時代事情、個人的心事が必ずあるのである。
捜せばわかることもあるし、もはやなかなかわからないこともある。
昔の落ち度には、年に一回戒めの意味で思い起こすべき事と、一切忘れてしまって責められることのない事との二つがある。
何度も言えば、昔には今にない切実な環境がその人の運命を捕縛していたのである。


実相寺というのは、「実相寺という昔お寺があった所に今は墓地だけがあります」という「宮沢賢治の花巻」紹介の小冊子が手元にあったので、その地名を利用させてもらったのである。
肝試しに行く所であったとも書かれている。
「兄弟の穂吉といふ梟は、そこで大へんきまり悪く思ってもぢもぢしながら頭だけはぢっと垂れていました。二疋はみんなのこっちを見るのを枝のかげになってかくれるやうにしながら、おい、もう遁げて遊びに行かう。どこへ。実相寺の林さ。行かうか。」(「二十六夜」)
「ぼちぼち(行くか)」と言うだけでは本来辞書にはない軽いからかいの意味が、この副詞に必ず伴う。


ついでながら、この実相寺という名のお寺に、戦乱の世、和賀氏城主小次郎の嫡男が手習いに預けられていたのだが、父のいる飯豊城の危機を感じてか、寺を出て歩き出してしばらく、狐に憑かれた所であるという石碑が、南隣の園芸試験場内に立っているのを探し当てたことがあったのを思い出す。
実相寺地域内には、国立花巻南病院があって、昔は人里遠く隔離病棟のある病院であったのだが、今は精神病院に変わっている。
松林の中に、ひっそりと木造の建物が立っていたのであろう。
そうしていつの間にも、世の中がなんともなかったということはないのである。