人間社会全体の問題として、共同して立ち向かい、勇気を出して、悪魔活動の本体こそを名差し、声を上げ、追及弾劾することこそ、法秩序回復の明日の世のために、唯一有効なことであると思う。


先日の続きに、島根県雲南市を紹介して下さった人がいた。
市名について、問い合わせたら、古代からの出雲の国の南部ということで、近代以来雲南という呼び名が一般的に使用されていたという御報告である。
ここに眼を置いていて、思い出したことがあった。
珍しい東北弁の飛び地であったのである。
国家的な開拓農地安全発展の祈願儀式の一端として、かなりの人数の人員が、雲南方角国内至極地とみなされる、当地に配置されたというのでは、強引すぎるだろうか。
この行事ではやはり、雲南方角方位が重要なモチーフを成していたという解釈である。
そもそも、出雲という地名表記を雲南出身と、一方向に詰め寄って考えることもできる。
古代の地名の読み取りに、発音とそれに当てる漢字表記は由来を別にすると分かり易いことがある。
イイデと飯豊がよい例である。


また、イラク湾岸について、アラビア半島がノアの洪水時にギィーッと押し開けられ、押し流された跡が、今のペルシア湾ではないかと教えて下さる人がいた。
この時の土砂は深々とアラビア海の底を運ばれ、はるばるインド西南の、モルティブ群島を含む大円弧の海嶺の成り立ちを説明してくれている。


このような情報は、犯罪的な悪戯を好まない先生方、地域の先輩、同志の方々によって届けられたものであって、悪戯好きの大将に取り付かれる借りのあるものではないと思う。
人助けのボランティアや人の世を善くしようという社会活動で、大勢の人間が一所懸命になって働いているとき、背丈の低い殺戮活動ではあまりに救いがなくて泣けてくるばかりではないか。




吉右衛門の家は、思えば、江戸時代、百姓一揆のリーダーを出した家として処罰処遇されていて、その後隠退的な位置にあったのではないだろうか。