数世紀の運動の最後の白状というものは、しようがなくも必要な仕事といえる。


当時、官憲は社会主義革命運動に過激な警戒心を抱いていて、大震災時には警察から、第三国人の叛逆情報を流していたのであった。
歌え踊れと言われても、女性は何もしないで黙っていた。
「じゃ、運動(うんど)だ」 「うんどだからな」 (社会主義革命運動の犯人だ)
ちなみに、韓国語で、運動は「うんどん」と発音する。
それで女性は腕を振り脚を踏み始めたのである。


武蔵が昔の先祖のように、どれだけ警戒心を尖らせて、地域の安全の為一心に、悪者を捕らえ、「まるごう」として歩哨に立ったか、その象徴としての見張り台が部落後背の河岸段丘に広がっている芝生地の一角に立っている。
奥羽山脈が厚みを増している所、岩手県側に夏油高原スキー場がある。
その稜線に新しくハイキング道と見晴台ができていた。
遠く最も美しい形で鳥海山が望まれるはずだが、見たことはない。
真北に岩手山、少し離れて早池峰山の山頂の二つだけが、一帯に漂う雲霧の上の存在として何となく並んでいるのを見たことがあった。
この見晴台の秋田県側直下に、岳部落の岡の上の歩哨台を見止めることができる。


昔は昔、今は今、昔には深い事情があるものである。
痛い目にあった人はあまりに無念なことであるが、二度とあることもないことは、昔の事として簡単に考えるべきであると思う。
自分に責任があるわけでもなく、昔の事情と共にもはやどうすることもできないことなのである。
一切イギリス人の運動の箱の中の事で、運動主催者という一番の責任者も公平に引き出されないでは、日本国の法律の上ではないことにするしかないであろう。
もちろん、今はもうない昔の先祖のことをいっているのであるが。