本来コピーアーは最後まで無名の事務員に過ぎない


ので、個人的な話を長々としなくともいいはずである。
父健一の馬鹿生真面目、勤勉の人生については何度か触れてきた。


若い頃には尺八を吹いていたことがあったと聞いた事があった。
趣味などをやっている場合でないのですぐ手放したようである。
藁でも売って、とにかく早く耕運機を手に入れたかったようだ。
生活の向上を目差すばかりで、結局一生涯趣味遊びというものを持ったことがない。
日蓮宗の本と健康の本以外、読書というものをしたことがない。
三十代から、脳卒中、糖尿病、帯状疱疹、湿疹、脚部肥張、歩行不自由、脳梗塞弱視、最後には盲目状態と、多病で、それでも休みを取って病院に行こうとしなかった。
そのため、インシュリン治療に与らず、自分で養生しようとしたのである。
結局耕運機は一台だけで、死ぬまでその小型の古ぼけた耕運機を直し直しして、トラックの爆音の中、リヤカーをトコトコとトレーラー運転していたものである。
倹約のため、何から何まで自分でやろうという主義であった。
農作業のほかに、大工、塗装、土工、基礎コンクリ、屋根修繕、木工、クリーニング、アイロン、包装、理髪、剪定、製本(肥料袋紙でアルバムを、晩年配布用に、法華経抄本を)、フロアラッカー、など、朝早くからどれだけ体を回していたか、コピーアーには全部見えていない。
怒ったことがないが、一度だけ、分裂病の息子が、なぜか母親の作る弁当のおかずについて、へらへらと無神経にも「とうさん、恥ずかしぐねべがや」みたいなことを言った時、さすがに触れることがあったようで、近付いて来て茶碗を投げつけたことがあった。
その跡が棚の角に残っている。
一度でも母の作る質素なおかずについて不満を言ったことはなかったのであるが。


母は戦時中、男手のない農家で少女時代を送ったために、一人前の働き手であることを期待されていたようである。
母も頼まれる前に、農作業に大人に負けないよう自分から精を出す性格であった。
小学生の時から、田起こし作業にまで田に入ったものだという。
遊びででなく、一日仕事でである。
家を手伝うために、炭焼きの背負子もやったという。
だから料理を教わってこなかったのである。
借金を返していた家なのである。
「かまどキャスターに借金キャスター」
村上の家に来ても、病人が続いて、看護人に来たみたいだ、と言っていた。
K市に移転してから、夫の脳卒中という大病。
山から来た者の頼りなさに、子供二人を抱えて、掃除婦、洗濯女、皿洗い手伝い、黒板塗装、と口がきけなくてもできる地味な仕事、体に悪い仕事ばかりを何とか見つけて、自転車にも乗れないので、市内を急ぎ足で走り回っている姿を見た人がいると思う。
尊敬している自分の父親に相談しに行くと、忙しく動いているうちに日が暮れていく、と語ったという。
困ってしまって嘆いている娘に、その時の心の癒しとして与えた言葉である。
娘でも息子でも例外なく生真面目に働き者に育ててきている。
だから、なげやりな刹那的な人生訓を述べたのではない。
姑の入院で盛岡に通ったというのはよくあることである。
長女篤子のくも膜下脳外科手術。
二回もあった。
やっと食費も寮費もただの看護婦学校を出て、働き始めたというのに間もない発病であった。
直前に結婚していたので、そのまま仕事も子育てもできない主婦として隠退の生活を送っている。
母に料理がないので自分にも料理がない。
高校生の時、母が握り飯を作って持たせてやったことがあったそうだが、海苔を焼かないで巻いたために、食べる時友達の前で困ってしまった、と話していたと、母が悔やんでいたことがある。
長女は最初のボーナスを百科事典の月賦払いに当てたようである。
その頃の百科事典は大事業で、第一人者が署名入りで全項目を執筆している。
たとえば物理学なら湯川秀樹というように。監修者ではない。
大学の教科書ぐらいの詳細さがある。
これだけでも大病の連続なのに、今度は長男の流浪収容。
結局回復不可能級の大病で次々と家族が倒れてきたのである。
次男だけが最後の望みであった。


不幸の連続のあまり、祈祷を頼んで歩くようになっていたが、日蓮宗に出会い、何百年来の真宗を離れる大決心をしたようである。
長男の不安定を何とかして治してもらいたかったのである。
朝晩水とお茶とご飯の上げ下げをして、一時間位だろうか、お経を上げることを絶やさなかった。
毎朝花の水も取り換えなければならないので、何回も階段の上り下りをしなければならない、腰を痛めてしまっている老婦には、堅い決心がなければできない行のようなものであった。
農婦としての忙しさはずうっと続いているのである。
他人よりなんにも勝れたことのない、謙虚で質素な必死な人生であった。
父が何度かの脳梗塞でとうとう路上で倒れ、病院で、60代で逝ってから、後を追うように呆けてしまい、やはり60代で一年後に役に立つことのない人となり、寝たきりとなり、今、独り者の長男と二人だけで暮らしている。
意識もなく、眼も見えず、耳も聞こえず、口から音を出すこともできない。
眼を開けて、口を動かして食べることはできている。