コピー作業はモチ喰い競争ではない


馬鹿話を書き続けたら罪深いであろうか。
コピーアーは、実際の役割の重みからいったら、新聞記者ほどの働きもなしていない。
ただ、自分の経験(読書も含め)による記憶による納得が要ることではある。
PC前の物を無視して、どんどんどんどん文章を垂れ流したらいいじゃないかと思う人もいるかもしれない。
特に役に立つものなら、食い扶持競争でもないのだから、だれでもやればいいのである。
事務のボランティアというものである。
原文がある程度すでに後ろに控えているものであるから、コピー係りの納得など無用と言われるかもしれない。
もっともであるが、地下から電波で送られる仕方では、どうしても係りの者の得心を経なければならない。
もちろん、原文をそのまま持ち出して本当のコピー機に回して、広く読み合って早く役に立つのでもいいと思う。
少しも反対するところではない。
とにかく早く広まればいい願いがあるだけである。
ここだけでは宣伝が不十分である。


このようなビラで、モチ喰い競争みたいなことを言われなくていい。
別の大事な意義を認めないのであろうか。
ちょっと飾りに学芸見出しも挟んでいるが、少しもプロの仕事に値しない。
無料奉仕でなく、商売にして売ったってかえって評判になっていいかもしれない。


ついでに、例によってちょっとした着眼点を掲示してみたい。
ところで、もう一度、このような内容のものを届けたからといって、コピー係りの者には功名がない、無自覚に自分のものとしていない、と特に英国方面に向かって大声で叫んでもらいたい。
一切合切に、コピーする者の名前がない。
ボランティアしているだけの者に、食わせた食わせたと騒ぐ人がいるが、嘘である。
皆が順番に読み知ることであり、地下の真実に出会うことである。
前書きが長くなってしまうが、それも実は悪仕掛けの暴きとして、このブログの重要な目的に適う事である。


ヨーロッパの語源は日が沈む所という意味の言葉エレブであるという。
日本語のゆうあるいは、ゆうべという言葉との類似を考える。
アジアは、アスという日の上る方角を指す言葉から発しているという。
あづま、といえば京都より東方を指す言葉である。
明日を、あすとかあしたとかと発音する。
朝のことをいったのであろう。
日の上るあした。
あすか、というのも九州から東の地方という意味があるのかもしれない。


韓国語の数詞で、一二三をハントゥセという。
ワントゥスリとそっくりである。
圏論によれば、古い言葉ほど外側にある。
信じられないかもしれないが、英語にこそ人類最古の発音の名残が潜んでいるのかもしれない。
そして大陸の一方の端、半島や列島の言葉にも。
言葉の顔相学といえるひとつひとつの単語の類似を広く調べたら、何か大きな事実が見つからないでもないと思う。