向こうの話


そんなことするか、と難じたと想像する。
「誰だってこんな時代では、言われたままのことをやって運動に引っかかっている」
「ここだって、もともと運動の相手であるのだ。イギリス人が出て特別に頼まれるということがあって、地域の活性化にもなるならと応じてしまったのだ」
「すっかり組織が入って絡み合っている環境で、まずいと知ってても正面からの組織の指導を断りきれなかった」
「やったからといってそれだけで誰かがもうけるわけでもなく、芝居を打つだけのことだが、結局やる者がいなきゃならなかったのさ」
「おかぁに出てもらったが、逮捕された時声を出して泣いたったよ」
「もぐり仕掛けはどうしたって違反なんだし、こんな時代に雲の上の生活をしていて当たり前の気ではいられないと思う」
「人の世の楽でない生活と土まみれの抜け駆け仕掛けを知らぬ者みたいに、上流の生活をしていて、人間か、こころがない、とおっしゃるから、
神様です」


つまり、すでに深く介入していて地域の主宰者となっていた組織の、正面からの強い指導という背景があったことと、その不法の地下組織の上で汚い事がないもののようにきれいな服を着て裕福な生活をしている人たちが、断りきれずに汚れ仕事を引き受けてしまった人達を偉そうに難じる、ということがたまらなく矛盾に感じられたのであろうと思う。
「おえらいさん」


同じ地域の地下組織のお膳立てであっても、誘いに個人的な何かの益が囁かれたのかどうかも分からない。
とにかく、掃除婦をしていた聾唖者の婦人があえなく無期の刑を受けて人生の運命を終えたという。


本当かどうか知らないが、他の例として、桂小五郎の真似をして、エジプト脱出行の儀式を終え、入団したグループがあったという。
「しこふんじゃった」というのがそれであったわけか。
塀の下事件の場合、起きてしまって人だかりしてからでは、認められにくいであろうから、必ず積み上げた物によって見つけられようとしたであろうと考えられる。
罪のない一人芝居である事を選んだのである。


日本では、組織お好みのカンニバリズムは演出しにくい。
土葬が少ないから。
それで小耳に挟んだ六部巡礼の話を工夫して、全国展開したものと思われる。
「聞き耳頭巾」ということばがある。
この時歩いたスタッフたちの事を指していると思う。
隠密のペテン工作であるし、聞かされたとき、胸がズキンとするよう狙い撃ちするからである。