何軒した


という言葉が使われる。
想像だが、岳村で不穏な行動が心配される外国人を捕まえた時の、最初の自然な詰問ではなかったかと思う。
あっと、驚いて出発した人達にも掛けられたことばではなかったか。


悪夢を見ているように、その言葉を聞かされると、自分が火盗でも働いたみたいに寝汗をかいてしまうが、こんなふうな意味合いもある。
今晩中に泊めてくれる家を見つけられるだろうか。
あれっ、あんたは何軒した(訪ねた)。
30軒 !
何軒スター !
笠智衆さんみたいなとつとつとした気真面目な人が、NHKのふらっと番組みたいに、縁先に立ったりして話し掛けてきて、宿を頼むのであった。


縁先の物乞いというと、娘が進学したので、聾唖者の母は自分を辱めてまでよその家の縁先に寄ってがんばる事があったという。
聾唖者というのであれば、声を立てていたとしても何を言い立てているのか分からなかったであろう。
恐らく、特別に入学用の資金を頼みたくて一所懸命になったあまり、ついいつまでもその場を離れられなくなってしまったということなのだと思う。


それからは、運動関係者というものは一般に、今日まで、どうせ指示された事はやってきたのであろう。


別に、何軒スターという言葉には、多島海沿岸に訪れた、スターを先祖に持つ西洋人が他の町や村で掛け持ちをしていた、という意味があるようである。
恋人として、一ヶ月くらいは滞在していなければならなかったのであろうから。