運動の目的とコピーアーの立場


運動はいわば地球欲、森羅万象主義で広められてきたものであるから、組織としては、誰かとの約束があったりして、義理にもやらねばならないものが先にあるのではない。
遂げねばならない目的が予め定められているのではない。
長い作戦でも組織が勝手に決めて掛かった事である。
大きな仕事には準備が要る。
私の記憶から分かることの一つに、地震を起こすには、短くても15年以上の準備期間があった。
殺人設備の開発にも何年かかかっているだろう。
顔を作る技術は早くからあった。
今は寸分違わぬ技術を持っている。
世に現れた事件というものはすべて準備というものではなく、用意された技術による一つ一つの実現である。
それ自体が打ち上げられ成し遂げられた花火であり、最初からの、運動の最終目標である。
その事件を使ってその上に、更に建設的な仕事を成し遂げることなど考えていない。
繋がる仕事があるとすれば、更に大きな不幸な大事件でしかない。
今、テレビに出ている一人一人の大スター達が最大最後の打ち上げ花火であって、それ以上の見物が日本国に、自然災害以外に現れることがあろうか。
こういう仕事をするグループが、その言い訳に見合うほどに何かを育てているというのは嘘である。
何かはプラスはあるにしても、決して一般市民より高い事はない。
一般市民より高くない者が、事件に見合うほど偉くなる準備を着々と積んでいるということはありえない。


コピーアーは最初から今まで一貫してこの反則運動に反対してきた。
勘違いされているようだが、こんな汚い運動を利用して偉くなろう、などと思ったことは一度もない。
父も母も馬鹿正直に、趣味もなく質素に自分と家族の病苦を背負いながら、必死にがんばって生きてきたのである。
頼みもしないのにからまれてしまう世の中だから、知らずのうちにも付き合わざるを得ないだけである。
いくらか私生活の応援にもなるが、いいように見えても気兼ねなく歩けるでもなし活躍できるでもなし、嫁ももらえそうになく、家族がいなくなるばかりである。
どうも私には、一時でも友達の持ちにくい、息の吐きにくい日本社会ができてしまったようだ。
何かやるとすぐ人を殺しでもしそうな気配が地下に潜んでいるような気がして、何百年の農家の長男の仕事とコピー係の仕事をとにかく進めているだけである。
世間を賑わしている作戦が、いくらか私と関わっているとしても、私のコピー内容とは全く別物である。
かえって、いくらかでも世に出る準備もできない日本国を作ってくれたといえよう。
コピーは世間の野蛮活動がなくてもできる、ささいなひそかな事務ボランティア活動である。


コピーアーがいかに一貫してこのあんど運動に反対してきたか、下に記す。
相当の手紙を書いて、主に警察機関に訴えてきた。
実態にまだ疎かった。
電波を違法に使用している。
体にラジオを埋め、音を聞かせ続ける。
毒を食品に入れている。
テレビラジオ局まで不法運動と一緒になっている。
証拠がなければ警察を動かせない。
東京にいてもまともな生活をしたことがなかったが、証拠集めにいくらか動いている。
家に帰っても、隣近所や家族と喧嘩するのではないが、警察に訴えに行くのでは、どうしようもないと嘆かれる。
ラジオばかりでなく、電磁波束線で体のあちこちを痛くしたり、胸焼けを起こしたり、吐き気を催させたりする。
眠ろうとするとイメージが浮かぶ。
警視庁に訴えに東京に行ったこともあった。
とうとう、九州に逃れる。
苦しいばかりで、とにかく家族と離れようとした。
どうしても暮らしづらく、ラジオ機を証拠に見つけてもらうばかりと、いくらか強行し、宮崎で一年。
その後は他の人に訴えるのは諦めて、何とかかんとかプレス工とメッキ工を勤める。
しかし、独りで毎日のように電波の侵害には怒り続けてきた。
ラジオからは、組織活動の弱い者を奴隷にする残酷な臭気が吹き出ていた。
呆けた母をいじめることでも激しく怒った。
何事にも嫌気の出る気分で暮らしてきたが、メッキ工の中途から生まれて初めて安定的に汗を出して働くことができるようになった。
全くの単純過酷労働であったが、労働の喜びを、この時40を過ぎてから知ったのである。
学歴も国籍も要らない仕事であるが、この状態で働き続けられていたなら班長にもなり、当たり前に嫁ももらえていたであろう。


しかしいつでも市民として証拠があればためらいもなく警察に走る気持ちに変わりはない。
このコピーとラジオとビラ活動が、この地下活動のまむしの様な無法さ邪悪さの発見の助けになることが、最大の夢である。
何度も言えば、この地下活動には何の大義名分もなく、何時までという何の予定期限もない。
世界中が、この地下活動に乗せられた、あるいはたかり寄った先生方だけの世の中になってしまっているのである。
そして、無茶にも偉い人が並んだからといって、それだけ、コピー作業するだけの者の周囲に、人並みにも社会に出られるような環境が用意されているのでもない。
人の手を握るほどにも生まれ出たことがないうちに、まむしのように家族に迷惑をかけ、近隣に迷惑をかけ、近寄ったぐらいのことで、人より偉くしているような、嘘評判の作戦がある。
地下で無念にも眠らされてしまった、女性たちの体を握ってくるという醜悪極まりない男達が、私のどこに付いているのか教えてもらいたい。
汚れ活動を背負いたくて、近くの穴にがんばり続けている者もいたという。


再度、災害や事件は一つの実現であって、何かを築き上げる用意ではない。
更に別の事件の原因になるだけである。
そしてなかなか誰も、事件の真の現場である地下と主犯者である組織を指差そうとしない。