村上の家のタンス主義


置くだけ、という言葉がある。
使いもしない物を置いておいていたようである。
幼児の頃の記憶にある光景に思い当たることがある。
昔とは逆に自分達が縛られたみたいに強制的に、兄弟の若い嫁達に第一子を産まされて、その見返りにということであろう。
できるだけ簡単な物にして、付き合いを早仕舞いしたかったのであろうと思う。
もともと連れて来て見合いをさせた、里見京子なる女性を断ってもいる。
そしてそそくさと、生活の足しになるでもないタンスをもらったことにして、運動との関わりを振り切ろうとしている、というのが真実であるようだ。
そこで、組織はその時から、村上の家からはすっぽりと姿を隠してしまっのであろう。
後は、知らずの内に天皇陛下の頑なな臣民となるだけであった。
他の部落の人たちは、イギリス人の地下活動が地域でもずっと何かしら進捗していることを知っていたと思う。
武蔵の方では、影、影、影が過ぎる、と異常な事態に気付くまでは、単純な農民の生活を送っていたのであろう。
地味な人のようで、後は自分を控えて、自分の肖像画を遺すことも望まなかったようである。
事件後も組織は村上の家の者を利用し続けようとする。


事件の際、小屋の中に収容されていた女性を隙間から見ていただけの男の人がいたようで、映画などに、木の間越しに女性に見惚れる男性が登場したりするのである。