今回の侵入作戦について大統領が


頭目としてイギリス側から打診された人が、最初驚いて、そんな作戦は「できない」と断ったという。
しかし、とうとう飛び降り、決行に至ったのだという。
悪いことで、絶対に正直に直れない、人の道ではないことは承知の上なのである。


それを聞かれて、彼はどの程度の覚悟で踏み切ったものだろう、と語られたという話が伝えられている。
覚悟ということは、どの程度の見通しを持っているのだろうか、とぼけられるぐらいの腹積もりだろうか、ということであろう。
歴史に現れる責任自覚までも蔵めていて、すがすがしい公明正大さの朝も覚悟の者であろうか。
すでにたっぷりと民族を巻き抱えて進めてきた、数々の違法作戦の経歴の挙句ではあるにしても。


日本ではどうしたって、百年もの長い年月の果てに激しい民族をやらざるをえないのであろう。
親分(イギリス本部)は大事志向である。
日本ではそれを引き受けてしまう地政学的土壌がある。
一つ一つの事件にいろいろな言い訳をほのめかしているが、大きくながめれば、どうしたって面白半分の理由が浮き出してくる。
根本的な動機なのである。
だから、あまりやり過ぎる。
そして、「小者」相手にはあまりにもやる事がない。


一切がイギリスからの依頼と供与による運動であるのだが、人によっては、皆民族系の人が潜ってやってるじゃないか、民族が所有権を持っている運動だ、と陸の人に請求が激しいことがあったらしい。
タンスでも融資でも、民族のものと思ったらしいが、実はこの運動では、かえって融資一番に甘やかされてきたのは、百年もの間民族系の人達であった。
すべてイギリスの地球運営予算から、各地域に頂点の事業家達が立ち並ばねばならない国造りであった。
その義理合いからの、イギリス依頼の奉仕活動なのであって、民族がやってるからといって民族の請求を出すのは誤りである。
何といったってイギリスとの義理合いからの、イギリス提供の地下活動なのであって、活動と関係ない人が民族の請求権を張る正当な理由にはならない。
勘違いしている人達は、今までの活動の外にいた人達なのであろうが、実はこれもイギリス人幹部のたくらみで、民族の所有権意識を高めさせて、日本人の目に更に鮮明に、民族の迷惑を印象付けようという作戦なのである。
この人達の運動理解には、民族発展の運動と、イギリス御用達しの運動の二つが独立してあるようである。
どちらもイギリス御用の運動であって、民族エゴの運動と誤解するほど民族をえこひいきして大甘に融資してきたので、さも民族が親分の、所有権のある運動のように見えたのである。
イギリスは面白半分に民族エゴ運動を応援し続ける。
とにかく、イギリスの技術と設備の提供のない民族地下活動というものはない。


ところで、その作戦においてある東洋人はどのように利用するのか。
決定的に、「公」的なものとしての利用である。
「公」とは何か。
小者で馬鹿みたいにエバルものである。
それ以外の中身は一切無用な、イメージとしての使い方である。
主宰者の頭に、世界中に及んだ隠れた権限の行使として、横暴を働く考えしかないのなら、「公」のイメーシは最終までの必要物であろう。
そんなに馬鹿みたいにエバル者など人の世にいないのである。