相手は何時の頃からか、大学と機関施設を使ってまで


国の経営に乗り出しているのである。
食品の製造と情報の管理とか、インターネット界の操作とか、組織的企画指導的なのである。
予め、コピー係りなぞは降って、取りかかってきたものと言えるようである。


日本人は戦いの目的が常に小さい。
全土的危機として、実体的に取り組むのでなければ、間に合わないのではないか。空しいのではないか。
自分の私生活の場にも職場にも、国の管理のない地下施設が常に手を伸ばしているかもしれない、人の世とも思えない大事な大異常事態なのである。


このような分厚い組織団の上に半ば無意識状態で乗せられていて、すぐ何かの目的にかかる事ばかり考えてしまうというのは、成人した人間の進み方ではないと思う。
織田信長の戦いでも、毎日の警察の捜査でも、忠臣蔵でも、もっと活動実体について持続的な調べがあるものだと思う。
自立的に、調べるというテーマを掲げたグループが安定的に存在したことがあっただろうか。


今度こそ根底的に考えようじゃないですか。
実行犯そのものについて、落ち着いて考えようじゃないですか。
今までの歴史に一度もなかった、大規模な、日本国土一帯に及ぶ巨大違反組織の活動に出くわしているのである。
大人の仕事なら、組織との勝負がなければならない。