サンディーだよ、ジャパン サンディージャボ゜ン


 「日本国あんぱん」 を三国民で分け合って食べる泡話などぶっ掛けていたらしい。日本民族なぞ空中沈没してしまって、繁栄そのまま居抜き相続する野郎会談が、太平洋上のテーブルに載っていたという話を聞いたことがあるが、本当かどうか。
 ポルポト作戦がやっと制度的に始動したな。サンディージャポン。
 (何を言うんですか、おしんにっぽん、ウサギ小屋などと言われて勤勉に踏ん張ってきた歴史がある)


 違うってんだけをね。
 いくらなんでも冗談が過ぎるよ。テレビ見えるか。「笑い抑えて出てるんじゃないか、先生方。名優演技だな」「皮肉で舌出してやってるってのな」
 どこでもだめにするのだな。倶知内の設備で一部担当させられていた工場の先輩が語っていたという。どちら方面の人も亡くしてしまう作戦だ。方角方針がない。今じゃ西洋人も次々とやられている。
 地域で一番の貫禄を示していた家があって、地下基地を預けられていたらしい。市長にも出馬しないかという話もあって、いよいよ発展の気配にあったようであったが、なぜか自らすっかり事業を下りてしまっていた。身動きならない天下の地下設備網。コピー係りの親戚の人たちが側に呼ばれ痛い目に会っているのを見て、この家寿命にしてしまえ、と早くから思っていたらしい。歩いてる者刺す者ないかとも言っておられたという。落ち着いた人情味の厚いお父さんである。周りがあまりな悲劇である。その時は地域の人は誰もアンカーの者だと言ったりして頷かなかったという。初めて出合ったコピー係りに何を思われたのか、なぜか相手にする気を起こしたことがあったようだ。お母さんや息子さんとたまに挨拶するようになった。「おがあ、行ぐぞ」 タムタムのお祖母さんの家でもあったようだ。もうどこもかしこも運動だや。テレビを最初に買った家で、チロリン村を一回だけ窓の外からのぞいて見せてもらった思い出がある。地域の後進の人達が皆尊敬していて、役をすっかり下りてしまっていても、区長などに就任すると一番に挨拶に行く家であった。なしてそういう者が地下に人にいてもらわねばならないのだ、という初っ端からの感想であったろう。
 近隣の施設係りをしていた人が、最初は方角に計算があるものと思っていたらしいが、やはり次第に「やたらだ」と気が付いて人に話していたという。
 冷酷に乱暴に人間をへし折ってしまう。
 無方角に無辺際に骸骨主義と遺体主義の戯れが止むべきものでないもののように根底に鎮座している。
 そんな一個人の悪趣味をがんこに保ち続けなくてもいいのではないか、Mr Ms Betty and Jack よ。馬鹿なことは誰にも何にも益がないことなのだ。「分かるか、Silly, Stupid, 何にも意味がないのだぞ」と指導者が言っているではないか。
 その無辺際の精神に沿って日本国のボルボト生まれ換わり作戦があり、「イド」架空上の怪物単語が利用されているのである。
 「確かに無慮殺害事件に使われているとも見えてくる」


 あんまり死んでしまった。
 誰でもいつかは亡くなる。もう聞き果せる気持ちに変わりがない。