村内の出来事 B&B, earnest(真摯) and two-story.


 二回目に女スパイを捕らえた時、後で近隣の村の娘さんであることが分かったらしい。 それで遂にスパイ侵入の警戒に立つ事を断念したものだという。 それ程熱心に頑固に地域の安全に尽くすつもりでいたのである。
 その娘さんの父親は、その偽り無い忠義心に感じて、届け出ることは控えたらしい。 修が電力会社への行き帰りに世話になることのあった家なのかもしれない。 嫁をもらう時もその家の養女という挨拶で式を挙げている。
 桂小沢の家は注進に及んだことで古文書で見つけられた家であるが、逆に未注進事件というものが後に頻発している。 山子崖下落下事件というものもあった。木に引っ掛かったままで、どうにかできないかと話し合った後、そのまま放置してしまったという事件があったらしい。 その責任者の子孫が村に入っていたものと推理する。 似たような事を組織は何度も企む。

 手の問題。落ち着いた状況判断によって鶏の手であることに違いないようだ。 人間の手であれば、他に始末に終えない程に豊穣に多様な特徴ある部分部分があるはずである。 ちんまりと手が鍋に入っているのが見えたいうが、不自然である。 「手なんて食べる所がない」 その手だけが、最後にこざっぱりと分かり易く残って煮られていたというのだろうか。 鶏ならよくある農村風景であり、手も目立って当たり前である。 まず見誤りであろう。 手というより、鶏の足であるが、人間と同じように二本脚で歩く足であるから、意外な分肢の広がりがある。 写楽の手の不思議を説明するぐらいの大きさがある。 鍋で鶏一羽を煮て見れば確認できよう。 (他にも多くの解明教示があっていちいち挙げないでいるが、ここに特に在日グループの方達の発見と制作の提供があり、深くお礼を申し上げたい。 ありがたいご教示であった)
 江戸時代から湯田地域が如何に専門に注目され、調べられていたかが分かる。
 「ゴールドフィンガー」のテーマソングに、原報告を眼にした時の指導者の衝撃「タッチ」が表現されているようである。 同じずきんとした驚愕を再現体験させられたことがある。

 B&B真摯青年ももしかして、逆に湯田地の人間の手に入れられた風貌から特選された人材なのかもしれない。 湯田地で120年後にもポジションのラインとクロスする計画があったのだろうか。 120年前にもA指導者の悪戯とは別個の長期計画が潜んでいたとは考え難いことである。
 1820年前後という計算が適当でなければ、連絡のない事例といえようが、すでに指定されて狙われていた人物というのであれば、一切が仕組まれた能舞台であり、風評疑惑であったと言うことが出来る。 噂だけに過ぎないということもあろうが、考えられる劇の筋立てとしては、身元不明風の侵入団が用意され、そのグループ員の何か怪しい動きに特別選ばれて触れさせられるような仕掛けがあったと推理される。 300年も独り心を変えないような、素朴で確固とした人間を誘おうとしたら、用意しなければならない相方書割であろう。 地域の治安目的以外に男は動かない。 犯人が誰と決め付けることはできないが、仕組まれた以外の事はなかったと言えるのかもしれない。
 300年の志操堅固というような特徴が見込まれていたのか。
 ちなみに、ほとんどのカトリック国民が土地を所有せず、3万人もの農民が犠牲になったという1798年の「ユナイテッド・アイリッシュメン」蜂起の後の世のことである。 (英帝国が派遣した対地下組織のエージェントであったという情報がある。)