地下組織発展のジュラ紀

 ロックフィルダムというのはダムとしては早い方だろうか。
 プゥリー、プゥリー、と特定物のことだけを延々と口にすることがある。
 目先の引き紐しか見えていない、何人かの人達が現場にいたのであろう。
 日本では六部風聞作戦が国土一帯に同時展開されていたと想定したいが、幕藩体制下では一斉指導は不可能か。
 1840年代と推理する。
 ロイヤルな秘密活動である。 わくわくしないか。 身を預けよう。
 親の制止を破っても加わった若者達であったらしい。 先に何があるともしかとせず。
 東西等しく、このチャンスに賭けないとノーマルと言えないような風潮があったらしい。
 日本国での混血作戦の最初は、一応この1840年代の事と計算されている。
 従って、歴史上のスター遺伝子と共にこの冒険家達の遺伝子が入ったのであろうと想像する。
 和歌山山口鹿児島などの沿岸に停泊していたのであろうか。
 偉人輩出である。
 
 たとえば、アイルランドでは飢饉があった。 没収されたカトリックの土地を分け与えられたアングロアイリッシュという特権階級の存在の他に、80%の土地が英人不在地主に握られているという以前からの状況であった。 土地と独立を求めて蜂起が起こり、税反対の大農民暴動が起こった。 弾圧は残虐であったという。 1846年には土地の大経営集中化が行われて農民の耕作権さえ取り上げられ、以後人口が半減するほどの海外移住が爆発する。
 
 中国では1842年にアヘン戦争が終わる。 1844年洪秀全が伝道を開始する。 1850年太平天国の乱が起こる。
 朝鮮で崔済愚が東学を唱えたのは1860年頃という。
 地下組織は新興宗教作戦を得意としてきたようだ。 教団の発展と反乱による多人数の浮浪者の用意。日本国百年計画の一大柱である中国民族大移入作戦は、このジュラ紀の頃に種を蒔かれて実ったものと思われる。
 移入後の、全国的な、いろいろな教主様商法の展開指導が想像される。 組織の工夫忙しく、馬鹿にならない金が掛かったものであろう。 宗教を好んで利用する地下組織である。