コピー係りの近辺の思い出


 母の兄は実は南支の豪家の出身の人で、大陸から日本に帰る時に、亡くなっていた実の兄の代わりを頼まれてしまった人だという、誰も知らないような秘密を聞かされたことがある。
 (近隣にも似たような例があって、大昔にそのような人と入院中同室していたことがあったらしい。韓国の国旗のことなど聞かさされた事があった)
 この地下組織では、日本国民相手に明治の始まりから多用してきた手である。
 母の兄の場合、「書く人」という印を押されていたようで、地味な農家の相続者として物書きにはなれなかったが、確かに司法書士として事務所を持ち、長く書面料によって家の家計を支えてきた人生であった。
 このことと、顔が似ていること、その他の事情から、親か近親者に当たる人が、一昨年の7月に郷里の地で、長寿で亡くなられた中国の方ではないかと考えている。日本では詩人として名を残している人である。軍学校の卒業旅行の途次、宮沢賢治を見舞っている。
 極めて温厚な物腰の柔らかな人で、日本に来る時は相当の背景事情の説明があって、言い含められ承諾させられたものと思われる。
 晩年には呆け症状が現れて、家に帰る、家に帰る、とこころ休まることのないような表情で口走る事があった。
 遠野の千葉屋敷に一緒に連れて行ってもらったことがあった。唯の一回の事であったが、実家に似ているというので、地下的に導かれたのであるようだ。もう帰ることはできないであろうが、呆けてしまう前に一度懐かしい故郷の家を思い出して下さい、というお情けであったと思う。兄は石が趣味だ、と屋敷の裏の方に出没している自然石を眺めながら歩いていた時に誰かが言った言葉を記憶している。石など身辺に一つもないのに意外な事を言うといぶかしく思ったものである。庭石のある立派な旧家であったのであろう。
 呆けてしまう以前に、世の中を何となく眺めていて見えることがあったらしく、国民だめになるな、と呟いていたという。
 実の娘さんが一人いて、家族と北海道でがんばって暮らしておられた。