最後のルーツ話

 オラそったなのいらねのだ、と言ったのだそうだ。
 ブロンコ・レーンのように、独り珍しい人が砂漠を迷い歩いていて、水飲み場を訪問したようだ。
 娘さんは音楽の先生ぐらいになったのだろうか。立派に成人したのであろう。
 アジア人に届くには、誕生日は遅くとも1920年以前でなければならない。
 乱暴ではあるが、広く大陸を渡らせる為のカーブ球なのかもしれない。やったことは無いと言えるラインだろうか。


 それ以外に、入れ替えではあるが、単純な日本人夫婦の子供と考えることもできて、本人は長くその気持ちでいたものである。