修の写真は嘘でもなかった

玄関前左右に紫木蓮南天が植えられていた。日当たりが悪いので育ちが悪い。古株伐採後。左側は母が新たに植えて大繁茂した跡。子孫木は他に移している。


 近隣の右衛門家と同じく島津藩の出身であったと初めて聞かされた。実父を知らず、自分を何と思っていたか。
 極めて「移民」なのではなかったが、「いつの日か友と手を繋いで学ぶ夢」とか「上を向いて歩こう」とかの青春があったようだ。後に、地域ではただ一人国営電力会社の「役人」に採用されている。
 顔はやや森繁久弥に似ている。「重役」になるべきだったのかもしれない。