すわ八景和歌

    
 尻平があったと推定する段丘地から見晴らした田園写真。北方尻平川堤から望遠。中学校校舎が写っていると思われる。橋の上から尻平川の流れ。尻という言葉は地名に古くから使われている。網走、国後、川尻、黒沢尻、・・・
 尻を英語のslowと対応させる案があるが、はっきりしない。




 続いて、すわ八景和歌。同様江戸ガナ原文を活字に直したものは省略します。


 釜淵夜雨


 わきかえる釜ヶ淵瀬の波の音を
   汀によるの雨とこそ聞け


 歌意 沸き立つような釜ヶ淵の浅瀬の流れの音が、ちょうど近江の汀に寄る夜の雨の音にも聞こえるではないか。


 片岡夕照


 又や見んかた岡山の夕日かげ
   花や紅葉の色ならねども


 歌意 又返って見たい。岩谷堂の丘の斜面に映る夕陽の色を。桜花や紅葉の彩りでもないというのに。


 北上川帰帆


 真帆ひきて幾瀬の波をきたかみの
   川風吹きぬ帰る百船


 歌意 帆を張ってどれくらい多くの急流を越えて来たのだろう。今その北上川に川風が吹いている。その中を帰る川舟の多さよ。


 三箇尻落雁


 山の端の月もこよひは三ヶ尻
   ほのめくかげに落ちる雁がね


 歌意 山の稜線の上に出ている月も、今夜はだだっ広い三ヶ尻の原を三日月の淡い光で照らしていて、雁の下りるのがほのかに見える。


 三五岳秋月


 惜しめただ秋の半ばも今宵より
   岳の名に負ふ望月のかげ


 歌意 一心に秋を惜しもう。今宵からは秋の真っ盛り、三五岳の名にふさわしい十五夜満月の光が山々に照り渡っているではないか。


 八王子晴嵐


 八きみの神の御座(おまし)の峰著く
   吹く山風に晴れる薄雲


 歌意 八人の皇子がおられる峯がくっきりと見える程よく晴れて、薄雲も山風に払われて行くではないか。


 早池峰暮雪


 木々深き里はをぐらも早池峰
   雪には遅き夕暮れの空


 歌意 木々がうっそうと繁っている里は京の小倉の里であろうか、早くも黒く陰ってきたが、早池峰の峯の雪はまだ夕光に輝いている夕暮れの空である。


 国見山晩鐘


 国見山いりあひ告ぐる麓寺
   稲瀬の小舟暮れ渡るらし


 歌意 国見山の夕を告げる鐘の音が、麓の寺から聞こえてくる。その近くの稲瀬の渡しを小舟が漕ぎ進んでいる。それもよく見えなくなるように暮れて暗くなってきた。



  
 天明五年というと1785年、それから今日まで222年、長年月の内にもこのようにひも解かれ公開される事は、当然にも菅江真澄の予想し期待する所であったろう。もう十年も前のことになろうか、巡り会いの挨拶に角館の没地と思われる所を探し当て、その墓碑を拝して来た事があった。享年75歳、隠遁生活もなく藩の仕事に出張中の病没のようであった。本当の墓は秋田市内に移されていると、武家屋敷近くの郷土図書館かで聞かされたような記憶がある。