ある一グループの越し方



 読み聞きしただけの事を並べる。


 奴隷として売られるか、当座技人として住む土を変えるか。
 地域一帯に人っ子一人もいなくなるような非常時、将軍でさえ、自分の息子を敵側に技の者として連れられる兵士に預けるしかなかったという、逃げ場の無い絶体絶命の状況であったようだ。
 秀吉の考えか、各部隊に技ある者を選んで連れて来るよう指示が巡っていたらしい。他部隊に並んで、陶工として選んだということは本当なのであろう。その用意に土と水だけは携帯していたという。
 国を擲つというのでなく、緊急時止む無く岸を変えたのであって、いずれ帰る気もあっての船旅と推察されるような環境であり、伝え書きの描写がある。直後、藩は天下分け目の大決戦の狭間に落ちたりして自らの存亡の危機に出会わされ、忙殺されていたようである。後に海から上がってきた人達のことを知らされ、その素朴な気象に触れて気に入ったらしく、その時点で改めて郷士身分に抱えて迎えたという事の成り行きが小説に書かれている。
 上陸時は当然飢餓的な状況であったろうと想像される。また地域民との出入りがあったことなども記録されている。
 その後藩の経済を支え、倒幕運動を支える程の実質ある働きを為して、その陶芸品は国内ばかりでなく海外においても高名で、幕末に国を代表する芸術品として万博に出品されている。


 パラソル席まで用意した浜辺の飢餓事件芝居というものがあるという。噂は計画的に水面下で広げられていたようであるが、作られた中身の真偽の程は分からない。かの家に関する秘伝、奥義は能(No, I'm busy)である、というヒントから外ケ浜能映画の製作と出演が目論まれたのであろう。
 飢餓事件作戦は組織一流のもので、他地域別系列のグループにも及んで広く展開されて来ているようである。戦後の陸奥にも土葬地を選んで打った赤色貸間事件芝居があった。食事現場を目撃したという流言蜚語作戦である。頼まれている運動員から、いかにも自分が見てきたような、事実に権威があるように言われるので、若い人はすぐに真に受けてしまいかねない。運動員の人は丸っきり仕事で噂を振り撒いているのである。六部聞き耳ズキン作戦とそっくり同じである。作っていたとか、噛んでいたとか、誰がどこで見ていたか分からないような事を言う。K高校坂下の食事作法会も同じ飢餓伝説作りの一環で、組織一流の無茶苦茶なお仕着せのものである。子供の顔がフライパンで、半透明な羊羹のような物が写っているという。貧苦の時代にはいろいろな物を食べて飢えを凌いできた事は確かであろうが、組織の趣味ですぐに人肉を連想しなくてもいいと思う。
 ついでであるが、血痕があったという警察官の報告から、水道水で幼児の遺体を流し去った事でもあるような妄想がスタートしたようである。流しにある血痕なら、魚の解体の跡かもしれず、何も難しく考えることはない。ここから馬鹿なサホーの悪戯を思い付いたのかもしれない。普通の家庭の調理用具で人間の子供の大腿骨や頭蓋骨を処理してシンクの穴から流してしまうことなど絶対に不可能である。組織の滅茶苦茶な誹謗作戦の実情がよく窺える例である。
 全体にサホー作戦と言っていいような、食事目撃譚の展開があった。遥か昔に世界の大作曲家等が墓地目撃されていたという話を聞かされることがある。そういうことに由来する組織の最後までの物狂いであろう。半島でもイニシエーション儀式としていろいろと聞かされてきた。アメリカでのマウンド上のプレーリードッグボジションというのも、組織お好みのサホーであったろう。もしかして、順番が逆でないならアメリカ発祥のベースボールのデザインの一つの基になっているのではなかろうか。


 今まで聞いてきたことから、一筋の流れを想定できる。楽しかるべき入学式を前にして、子供にランドセルを買えないで困っていた親がいた。担当していた壷を二品無断で質店に預ける。ねこばばするのではない。後で、分からないようこっそり買い戻す予定であった。見つかったら世界落ちである。金の用意がままならない。焦ってしまい、若い姉娘を店に出してしまったのであろうか。「この二品を頼む」長々とした最後の哀願があったらしい。後は泥棒になってしまう。
 発覚してしまい、轆轤回し部に回される。どうも調子が合わない。毎晩自棄酒を飲んでいたのではないかという推測がある。死にたい、とも言っていたという。責任者が配置換えをして眺めていて、できないな、と見定めてから木戸番小屋に移されたという経緯があったようだ。
 子供をすでに建具屋の家に預けて、一人小屋住まいをしている者も捕まってしまう。動け。ぬかるか。天皇陛下のお側にも寄れないな、ヨッ、大統領、か。駆逐運動の勢いに攫われてしまうだけであったろう。映画出演を頼まれてしまった人であろうか。
 また、カナダ館と言われている洋館にどういうわけでか住み着いていた者がいたという。駆逐され、自らの不動産を失ってしまった人達の一部なのか、ある野戦グルーブが見当をつけて進んだ仕事の跡なのかもしれない。危険なことである。遂に襲撃を受けて、庭先の木に吊るされ縊死しているという。一人暮らしではなかったらしい。一時のことか同居したことのある女性の口からあるルートに噂が広まっていたという。
 以上、昭和年度中の付け足し仕事と思われる。
 建具屋の家に、日本最強の男優賞のような大男が遠くから寄って、客人となったことがあるという。その時に、畳の間で何かの間違いで叔母に当たるような人が出血多量で倒れたことがあったらしい。裸でいるもんでないと言ったら、子供がエーンと泣いたという。
 子供と木戸番小屋の男とは無関係ではないかという観測もある。やらかしてしまうようなある程度ずぼらな所のある人柄が想定される。
 ぴ、と呼ばれていたという。ぴ入りの人は今に、カントやベートーベンやゲーテのように、歴史上の天才偉人になるという、伝来のサホーを押し付けられていたのである。人類史の天才になるということは、墓を暴いて亡くなった人の肝を食べるようなものであるぞ、という真っ当な自覚を求める一種のお仕置きのようなものであったと思われる。ぴとは肝。干物貯蔵していた物のようで、ガムのように一日中噛んでいられたらしい。務めみたいにして口に入れていたのかもしれない。金の玉隠して入れ、と言われて、几帳面にその地域の先達の指示を守り通していたという話もある。
 見上げたもんだという、大胆な山頂グループもあって、さすがに高々と白雪を戴いて日本国史に並んでおられる。
 一方、コンセントが外れて、樹液が入ってないのな、という地味なグループもある。「あれはもうラジオ去ったのだ」 将来に何の見込みもない。