取り寄せた国の神話、伝説資料が最初のヒントであった


 先にご報告したすわ八景和歌の現場である金ヶ崎神社境内。



 アンテーブル上の進行を憶測する。
 地球儀ほどの地図で地名を見つける。
 次にその国地域の資料言い伝えのコピーを取得し、その神話などをヒントにして100年200年の運動の要となる事件を設計する。
 見方によって、湯田地名で始まり、湯田問題に終始する運動であった。登場者が全く湯田町人でなくても、関係者の発言に基づいて、人名に因って選ばれたりしている。縁者が町内近隣に住んでいたという謂れとか。似顔相続者も溢れている。
 

 明治維新の成立の背景には、意外にも、明治維新一座というようなものがあったように思われる。
 しばい、と言われる訳は、裏山で比叡山などに届ける製品、柴木の栽培をしていたからであるという。渋沢栄一とか土方歳三の実家の藍玉製造とか、幕末の農家にはそれぞれの土地に合った努力成長があった。
 一説に、維新政府の要人となる武士貴族階級の人達が勢ぞろいしているいるばかりでなく、時の将軍様も立ち会っていたという。決して個人の犯罪などというものではない。顔と人柄を見込まれて頼まれてしまった流れの者がいたということであろう。これだけ人がそろうのであれば、国のため、国の発展に役立つことなのだ、と純真に信じられたのであろう。国や位に対して決して個人的な野心や裏切りがあったのではない。
 罪と罰を求めるというなら、一座同等というより、主体的指導的に参加協力した武家貴族階級の人達にこそあろう。