神仏の御前、法の果たすべき正義の前に、生きるに値する実とは


 これだけ大量に殺められ続けてきて、為すすべも無い、嘲笑われたような無能な世の中である。
 父兄、先生方の担うべき保護相談責任もなく、女性が頼りなくも、犯人そのものである組織からむやみ矢鱈な誘いを受けて、止める者もいない。
 コピー係りの言論生活、値打ち「ゼロ」評価などを一切無視して無関係に始まった、日本国土上の歴史的大量作戦が何時何を以って止むとも知れたことはない。
 起きてしまった事件の被害者一人の弔いでさえ、明日にその礼儀を果たすべく何の努力も払われていない。
 事件は続くであろうが、警察情報活動を諦める事はできない。社会は片輪なのである。何時の日か誰かが敵討ちしてくれると思っていても、全く当ての無いことである。このままでは、とぼけられた、世界史初にも間抜けな国という屈辱を免れ得る希望さえ見えてこない。黙っていて、人間らしく弔いのできる日がいつか訪れるという何の保証もない。


 神社続きの城跡から、確かに、男山から田瀬湖方面までの山並みが望めた。その中間部麓に珍しい雲南の古地名があり、すぐ近くに平泉以前の古寺がある。その裏山が、実方の中将が奥州を尋ね回って求めかねた名所阿古屋の松である可能性が高い。一度上ってみて実見するだけの価値がある。「陸奥の阿古屋の松に木隠れて出づべき月の出でもやらぬか」