その時、せぇーっ、と天皇陛下が叫ばれたものと想像する

  



1. 下って、シェーっとウルトラマンが登場したりする。スキーのジャンプ競技のスタイルの素となっているのではないか。ピタッとしたウェアに身を包み、シェーっと高い所から思い切って前のめりに倒れ込む。飛ぶ姿はそのままあのスーパーマンである。


2. 叫ぶことがあるか。勉強はできてもできなくてもいいことのようであった。どこまで何ができるも全く保証のない人生であった。真面目に考えてはいた。
 瞋恚、何に。単純に地下に人間がいることに対して。
 違反地下組織との出会いは20代、東京にいた頃である。由紀さおりの「手紙」と共に、最初の拒絶反応を思い出す。警察方面に沢山捜査依頼の手紙を投函したものである。二十何年かの短い貧しい人生に、珍しい初めての社会的行動であった。
 その後はずっと悪戦苦闘。「世の中呪って出てきたな」
 百五十年前の発端から変わることなく、直ぐに取引することのない、忠実な銃後のガードマンであれということであろう。


3. 味噌のない国になってしまった。その時の真っ正直な国防意識危機意識は正しかったと言えよう。それ見た事か、食って偉くなる事ばかり考えおって。国が間抜けにされているではないか。反則社会で偉くなった者どもの責任である。
 

 「もしかして日本人の一部、わざとやられてらのだろうか。死んじまうからな、負けてらのだな」
 

 国民互いが一緒になって、自分の身を守る努力をしようではないか。
 組織は今、記録的な日本人被害者数計画の遂行を指導している。被害予定者を一人づつ雇い入れ捕食してしまう、鳥もち会社、鳥もち番組などを数多く製造制作している。


 切りがないのではないか。人間を埋もれさせ続けてその罪の報いがないというのだろうか。