いくつかの流れグループがあるが、

 



1. その中で湯田町発グループは、その出自において全く無罪潔白なグループなのである。刑罰の流され人でなく、敗戦の流れ人が多い所である。


 地下活動の囲いを仲間内の支え合いみたいに言う人がいるが、基本的には余所者の裏切り仕事であることの方が多いのではないだろうか。


2. お前と二人生きていることはできないというお言葉から、松林近辺で二子が捜されたのかもしれない。コピー係り近辺にも二子という地名があって、中世地域一帯を領していた大名の城跡がある。河近く近辺に二子の山、こういうところで、土地がトされたのであろう。


3. 上の家がなぜ当てられたのか。


 江戸時代地図上であろう。やはり、山間部の農村であるが、素直に中でも旧家を選んだものと想像される。湯田沢内中一番なことはないかと。「意外と朝からないものであった」 さすがに鎮守の森を有していて、古文書にも老の名で地域を代表している。泥棒を縛してもいた。そんなことは調べが付いていてからの選定であったのだろう。モリとハヤシとの関係で括られるような絵図柄がある。