またまたA指導者について・アイシャドー

  



1. A指導者はやはり自主的な企画者であったようだ。 「アイシャドーしている」 自ら自分の陰を置いていたということなのであろう。もはや「北海底」に攫われた傀儡みたいだよ。
 「不可能だな」 
 「どこにもいない」「北欧宮」にある。
 「俺の方か時間がある」 たぶん単純に、まだ俺は40代だ、あれは50代か、というちょっとした驚きを口にしたのであろう。
 四半世紀、四半世紀と口にしていたようである。結局総監督の責任感、実体を有していたという事であろう。


 責任放棄の仕掛けを講じたということは、地下も遂に現れるべく、その用意、遺志行為を為したという事であろう。


2. 地下活動はすっかり神の道、法の正義に背く世界にあるものである。自覚が足りない先生方がいる。そういう先生が部分的な犯人発言をしては、犯人そのものと連れ立ち、結局被害を大きくしているという構図が見えるようだ。
 ある米大統領は、地下組織の活動と繫がることは神の道に悖る事であると、率直に認め発言しておられたという。夫人を連れられてしまうこともある。大昔の映画俳優から、こんな運動は心が獣だ、ヤタラメッタラだ、と言っていたという。正直な心のきれいな疑いのない大統領であったようだ。


3. 真実の発覚も夢でない世の中のような気がしてきた。亡くなった人の弔いもそれから可能なことである。
 本来の指導者もちゃんと海底の赤ちゃんになってしまったではないか。
 ここのストレートな情報内容の国民浸透に望みを掛けようではないか。


4. 報道係りがなぜ東京に行ったかというと、学習の為とは思われない。地下活動の暗箱仕掛けというものを見つけること、明治神宮の裏で、代々人の世の舞台というものを他所にしたガードマンの社会活動しか働いたことのない家の者の姿を見せてくること、そして日本国中に広がっていた地下組織に出会うこと。