組織は歴史を繰り返さない仕事はしない

   



 組織は上の家を指定する際、湯田沢内中最高位の由来をも夢見たのかも知れない。奥地にも元屋敷という物々しい地名を差し置いていて、ある程度に期待がふくらんでいたものと思われる。その後の屋敷当て外れ、ということからも、屋敷地名へのこだわりが生まれたのであろう。
 その夢の跡が、平泉の関を越えた丘の上に立つ国民宿舎、英国風漆喰造りの館であったと思われる。
 阿倍屋敷の裏、国道107号線のバイパスに当たる大通り沿いに、二軒似たような建物が立っている。遠来のお客さんを招く目印にされてきたようである。「ポスト」と呼ぶ人がいるらしい。環七線建築物ということなのかも知れない。
 平泉の国民宿舎は古陣場古地名地上に立っている。阿倍屋敷もすぐ側に同じ古陣場地名を残していて、昔の川の流れを巻いて、そこは今小学校の校舎敷地グラウンドとなっている。また上の家の集落の鎮守様が山の神であるように、阿倍屋敷の神社も山の神神社である。市中、山の神神社は珍しいものと考える。丸っきりの平地になぜ山の神神社があったのか。安倍氏の時代に、遠く岩手山御神体に拝したものと想像する。花巻市にも前述の山ノ神神社が立っていて、山ノ神という地域地名が使われている。
 岩手山麓にはやはり安倍氏関係の姥屋敷という古地名がある。今は両神社とも味気なく道路に向かっているが、阿倍屋敷の山の神様は、側の通りとは全く無関係な角度で北側を向かい拝するように建てられていたものである。
 それやこれやで、明治の代には選ばれてしまった阿倍屋敷であったのである。