自立的国防活動というものは、西洋人を前にしているものなら

             (以上、K市内、「最果ての記」の正岡子規の跡。「近国無比」の渓谷美写真もいつかお届けしたい。)
  


すべていかさまである。


 日本人被害運動がしつこく進められている。誰が噤んでいようともしゃがんでいようとも、日本人捕食活動は止まらないであろう。


 しかし、反則活動の「ヒストリー」の「ディスカバリー」あれ、人類史の運命たれ、という組織指導者の分別が明白である。


 現在の悪魔活動はみなその後の為の必要と計算のないものである。今やバランスデッサンの範囲を逸脱して残虐である。悪名の発見対象たる以外に全く無益である。


 日本国民側のなまなかでない「うみざる」存在の確認も進んできたようだ。本来うみざるとは、言い訳としている上の家の者を軽蔑して使っていた言葉だという。産みないゼロ者、クラスびりの評決をしていて希なる大胆に乗り出してきたものである。「判断無視」 あからさまにも 「no way」 と 「big game 仕事」は別物である。
 日本人が昼寝をしている間に、相手は仕事に何でも調べているのである。


 「アイスピック」という言葉は、上の家の者の隣家の人が、掛けている電磁波内容を調べて言ったものであるようだ。上の家の者の母親の毎日作る味噌汁食事の質素さに負けて、「オラできない」と隣家の人に訴えていたという人もいたという。
 「朝だ朝だ」「ヴィクトリア」「北欧宮」 市内のある地下グループの人達がかつて組織の指導者系列について触れた事があって残っている言葉のようである。先輩方は早い。
 北欧宮廷ノーベル賞選考授与式というものも、そのグループの自主調査発言に因るものだという「教育」連絡もあるが、本当だろうか。日本人発言日本語によって世界を回して来ていることは十分に知らされてきた。


 400年前のセーラーマンとの混血の事を大きく書いていたが、一列に、江戸末期の頃の事か、クルーザー船客、乗員との混血児なのではないか、という修正のご報告があった。一人で数知れぬチルドレンを儲けるような、指導された熱心な企画的活動があったものと想像する。


 花巻で「バージンロード」という言葉に出会ったことがあった。宮沢賢治の童話に出てくる山男のモデルとなった人の事ではないかとあるヒントによって勝手に想定している。同じ九州発グループの一人なのであろうが、そのグループは却ってある種バージンでも、そのモデル男は「惨」たる経歴を踏む。どこかの精神病院で生涯を終えたものと思われる。「オラ、その水道工事の人だばおじさんて呼んでらった」