卑弥呼表敬時代に、さすがに日本側でも何か気が付くことがあったのかもしれない。 

 何度か繰り返された訪問も以後、60年近くも途絶えている。
 銅鏡百枚と百襲姫命の死亡事件とは何かの関わりがあるのかもしれない。 整然と並ぶ王記であるべき日本書紀中、天皇の叔母に過ぎない命についての同列記事が奇異である。 
 同じ崇神の代に、古事記では大田田根子という人物が、夢の中で紹介され、登場している。 百襲姫命と全く同じく、三輪山神と交わりのあった母親の子ということであった。 その頃、三輪山神の夜な夜な通いという疑惑事件が実際にあって、後の世の伝説となったものであろう。

[以上は、一時の魏志倭人工作だけを推理したものである。 いろいろな正直な日中の交流の歴史があった。]