地下組織の介入と共に、隣大国中国のフー儀式意が取り込まれる。

 魏志倭人伝を再読すると、北九州上陸以降の記述は、一切日本の王国の事ではない、全くの創作にすぎないのではないかという疑惑が生ずる。
 この場合、中国の正史記述であるから、全くの勝手なことであった。 思い切ってフー儀式に使おうと振り切っていたのかも知れない。
 考えてみると、どこにも、確かな日本の記述であるという証拠のない文書である。
 邪馬台国周辺において、女王に銅鏡百枚を返礼したという事以外に、これは間違いなく日本の事である、と指摘できるような一字一句もあろうか。
 女王の名も、隣国の名もその王の名も、また数多く並べられている国々の名も、一つとも実在の誰ともどこの土地とも確認されていない。
 これはどうしてもおかしなことではなかろうか。 一切現地と照合できない、人名地名で塗りこまれている正史とは偶然であり得ることであろうか。
 もはや、この文書に限り、故意に空を振っている文書であったと決着するのが正しいのかもしれない。
 フー儀式は一方で西蔵してブータンに抱え込み、一方で、正史記述の志の下に、領域周縁南端、台湾か海南島に抱え置こうとしたと読み取ることができるのではないか。