日本は怒って去ったが、国造りに基点がなければならない。 それが呉であった。

 呉は魏を避け、半島に渡り、竹島隠岐島伝いに密かに、大和最寄の宮津に上陸した。
 山辺の道がその往来の名残であったのである。
 「くれる」 は大和語であるが、呉の字を当てるのはその由来からであろう。 呉の字に自らをクレと読むべき何ものもない。
 京都北部の大原女という独特の風体も、其の上の運搬人を忍ばせているものなのかもしれない。
 とにかく、古代に中国から伝えられたものには呉の字が付けられている。 くれない。 呉服。 ・・・
 くれぐれ (何度も)、という副詞語もこの呉に由来したものと思われる。 命くれない、とは、この大和建国時代の世界史運転事情をタネにした歌の文句であるのかもしれない。
 組織は運動因縁を繰り返しモチーフにして、世の中の現象を演出しようとする。
 呉の国ということでは、呉越の時代からの関わりなのかもしれない。 この時代の故事に関わる熟語に日本人は親しんできた。 臥薪嘗胆。 呉越同舟