城をしろと呼ぶについても、雪山の白を意味する端的な表現だったと思われる。

 そのような世界史企画によって、隣の中国と朝鮮の 2000 年の歴史内容が見劣りし、貧しいものとなったとは決して思われないことであるが、とにかく日本は日本である種の頂点を達するべく、世界の裏から設計建築の努力が届けられていたものと思われる。
 「命くれない」 という演歌があるが、なんと大和建国の発端においてのいわれこそを含んだ歌だという。 奈良の大仏建築よりはるか以前に呉の国は滅びているが、以後呉人の人達の御足労が頼まれていたのであろう。 惜別というも、取り付く島もない、遣る瀬ないなどというのもみなこの呉人の人達の事を伝えているのであろう。 歌を歌う瑛子さんの頭上には、古代の王国の王冠を思わせる金属の飾りのようなものが天辺から垂れていることがある。 命、とは頼み手は呉人にしかなかった、ということを言っているのであろう。 そのままに命紅色とは、意味が通りにくい歌詞であった。 道連れに命を預けてくれ、という読みもある。 
 決して中国を後方 (しりえ) にしたとか、中国から搾取したとかの話ではないが、遥々と海を渡る古人のお手伝いご足労が並大抵のものではなかった、ということを語り伝えているのであろう。 プレゼントすることをそれ以来、古代の呉人達を偲ぶように、呉れると言うのである。
 どこの国でも、簡単に日本の奈良京都に負ける気もしまいが、棟梁よ梁を高く掲げよ、と特別の丹精に奈良の建築物があったことは確かと言えよう。 (奈良以後、京都に二階堂的な建築物が見当たらないように思われるがいかがであろうか。 懸崖作りの舞台と五重塔、そして石川五右衛門の楼門のようなものが思い浮かぶ。)
 何にしても特権階級の建築調度物衣装の事でしかない。