なんと北上川、北上市の地名由来は奈良の二上山にあった。 信用できるかどうか、先ず写真を見てもらいたい。

  北上という地名の由来はこの山にあった。
 前塚見は、本来前津神の意味であったろうと思われる。 それが水神の地名ともなって現在に残っている。 
 北上という地名の解釈はいろいろあるが、どれも十分な実質を感じさせるものではない。 今北上市に日高見橋という橋の名が現れているが、古い発音に近いものを表したものと考えられる。 ひだかみはふたかみ (二上) であったが、陸奥に来てひだかみとなまったものと推理することが可能である。 奈良平安の古名が変化して伝わっている例としては他に、近くに比叡山の山王がなまって珊瑚岳と呼ばれている山があり、珊瑚橋と呼ばれている橋がある。 (写真は地元の尊敬すべき大先輩の地域史本から)
  東征神話の出発地近くにある高千穂の峰。 偶然とは思われないような似姿である。 (平凡社世界大百科事典から) 
  (亡き先生はこの著書に、仏様を背負う如く、60キロの石地蔵を身に担って近くの山脈中の一つの山頂にまでよじ登り、遂にその地蔵像を安置する事があったと書き残している。 潔癖な正直な先生であった。 大変にお見逸れしていたことがあった。 残念であった。) 
  二上山とそっくりな稜線が日の沈む方角に認められる。 
  これは古事記にある奈良の二上山。 おわんのような山が兄弟のように並んでいる様子は、一方はその名を川等の名前に残すだけで逸してはいるが、他にはあるまいと思われるほど似通っている。 (小学館発行の月刊誌から)
 二上山という山は富山と兵庫他二三箇所を確かめることができた。 どこにでもあるようなものではなかった。 一箇所は小さく奈良二上山の形状を備えていないように思われ、また一箇所は国原を広く西の空から見渡しているようでもない。
 北上地域は、前塚見山の姿形から、稀にも二上山の地と呼ばれていた。
 次回は、北上市湯田沢内村が如何に古くから組織に地球の臍と目されていたか、どのようなことなのかを、地域の特徴の紹介と共に並べ書きしてみたい。