歌謡曲は運動解明の手がかりに満ちた宝箱である。

 すべての歌謡曲の歌詞に運動の歴史のエピソードが籠められている。 そして、未だ開けられずの蓋の寶函の如く、何時の日にかは読み解かれることもありや然として、一山を成しているのである。
 いくつかの歌詞を読み終えたものと自負しているが、あちこちにはね掛けた言いがかりのようなものについては、制作担当者個人の事であったりして、知り得る限りではない。
 今回は前記 「命くれない」 について、歌手の方の言葉が届けられている。 奥の意味は、お目出たなの、私できないから、変な物まで頭に載せて歌っていたことがあったわ。 
 歌手の方、作詞家の方には関係のない無責任な、からくり細工であった。
 誰か分からない者と結ばれて子供を産むような空しい話になっていたのかもしれない。   
 お目出たとは一つに、単に眼が出ている、という顔の特徴を指差している。 かの 「儀式」 の時代、蜀という国名がそれを担わされていたのであった。 そして、このような困難の時に、頼みの綱は呉の国の遺民しかいなかったという、古い思い出を語り続けているのである。
 ところで、本来蜀がどのくらい思い切って眼を突き出していたか、写真でお見せしたい。
  この奇体なデザイン、きっとこの頃の悪戯芸術家の作品と思われるであろうが、本物の、 およそ 3000 年以上前の古蜀の国の青銅器である。 魏志倭人式のアイディアの基となっていることは間違いない。 
 (もっと激しい出目仮面の写真が載っていた本があったのであるが、無くなっていたようなので、インターネットの画像を無断で撮影引用させていただいた。)
 中国赤一面についていろいろな推測があり得るであろうが、三国時代の呉の藍すなわち紅が発端なのかもしれない。 あるいは丹という貴重内容の全部という思惑が、全面赤色というデザインの背景となっているのかもしれない。 仮にも魏志倭人義の根底にあるとしても、他を恨み流血するというような犯意を表明している色でないことは確かである。