ということしかなかったのかもしれない。 命くれない、とは便りは呉の呉藍であったということで、中国の尊宝たる赤を盗み取った、吸い取ってしまったということにはならない。 個々人の契約に過ぎなかったであろう。
ここで大切なことは、本来の世界史企画に、日本を便通、便意の悪意の的とした、便活動の実態があったのか、ということである。
日本は更という字の形にも見える。 日本を便の国として表現したことはあったと思われる。 日本をリーベンと呼ぶに至ったのは、何時の王朝の時代のことであろうか。 歴史上日本と中国は、近代の戦争以外には喧嘩仲となったことはない。