上の家の家族は極めて地下活動に無自覚であった。

 従って、関りといっても、東京の方から一方的に関心を寄せられていた、ということに過ぎない。
 終戦直後に若い勤労庶民の生活を観察されたようである。 初めてであったろうか。
 英王室の関与ある地下組織活動にどの程度通じておられたのか。
 九州からの連絡から、そこもとはけしからん、という予めのご判断があったようだと伝えられている。
 古くから薬物作戦が密かに忍び入る世の中であって、お自ら目にされることがあったのであろう、その薬物牛乳を回されようとしたことがあったという。
 しかし実際に勤労国民の毎日の姿を目にされてからは、一切口を噤まれることになったのであると言われている。
 予想外であったのであろう。
 謙虚極まりない、質素な、貧苦に近い一国民の勤労の姿は、もはや何とも言えないほどに感動的であったのかもしれない。
 何よりも、表現されているような失礼がない。 驕りとは全く逆の、絵に描いたような禁欲生活ではないか。
 後に正直な事でもあることなのかもしれない。
 以後薬物入り牛乳の配給を止められたと伝えられている。