日本人殺し食いの過去をあからさまに心に抱き、組織悪反省の 「何時かの日の松明」 として、小林苗字が用意されていたという。
(念のために言えば、小林苗字はどこにでもある一般的苗字の代表のようなものである。 とくに関東に多い。)
きたがみ上級市民団と同様、久慈市北方の岡のような所から上がってきた人達なのであろう。
何故か自らを本内部落の加治屋の家の者になぞらえ置こうとする。 潔癖な謙虚心に身を据えておられたのであろう。
おしんの小林彩子さんが、なぜルーツを上の家の前の加治屋の家として示しておられたのか、今、以上の背景によって納得することができる。 実の縁者であったというのではなかろう。 あるいは、北朝鮮のソニム市を一ルーツとしたロシア人というルーツを当てることができようか。
折角の潔癖なお心の用意を、有り難く、そのままに受け継がずにいられようか。 清らかな先生方のお姿を次々と思い浮かべる。 心の痛みと共に、胸に燃やし続けてきたそのたいまつの灯を、バッジの如く赤々と胸に掲げ示し、見せびらかしても、進まずにおられようか。 (イヤ、アキラカナル小林さん方よ)