この 「天保の始末会議」 を被り物にしてきた人達の中に、分かり易い例として、ケジメなさい、の

近藤雅彦氏以下の三人衆アイドル歌手がいた。 この若手歌手の背景には、一世を風靡した人気アナウンサーの久米昭氏が控えていた。
 そのビカビカと剃り上げた整髪スタイルは、大名様ご合議に対する挙手敬礼の表明なのである。
 ところでこの三人衆の歌は音声が朗々となることなく、聞きづらいことでそろっている。
 地域の者が、上の家は 「天保の始末会議」 の紫モクレンのある家だと聞かされた時、全然聞こえないな、と応じたことがあったため、あのように声を抑えられたままの歌謡曲シリーズとなったのではないか、という推理がある。
 京都始末を間違えて京都殺人探偵小説みたいなことを企画し、失礼にも外してばかりいるから、罰が当って日本は、あるべき弔いの明日の望みも持てないでいるのではないか。
  正面出口を狭く堰き止めるが如き隣家の日陰地となっていたため、いかに真正面に植えられていた松の木の幹が痩せていたかを、そして下の写真は、普通に日が当たり出すといかに本来の成長能力を発揮して健康に逞しくなっていったかをよく示している。 京都始末会議から差し送りの南天の木は、前の杉の木も加わって病み細るばかりの状態であった。 
 また、上の家の母親は、一生景色を見ないという 「憲法」 下に抑えられていたと聞かされている。 花見というものをしたことのない忙しいばかりの人生であった。 他の家族もみな、無口無返答の口枷から解放されることはなかった。 
  
  すっかり塞がれていた玄関前が、建物の位置が後退し、また土地の遣り取りによってかなり青空に開放されている。 今度は南天も病気にならずに、再び高々と背を伸ばすであろう。