北九州を境として表現と記述の真実性の有無を分かつよう、意図的に編集されていた魏志倭人伝。

 大昔の事である。 何かの違いは自然なことであって、意図的などとはうがち過ぎである、と思われる方がほとんどかもしれない。
 しかしよく読んでいただきたい。 北九州地域内の地名は、ほとんどと言えるくらいに現在確認できる土地の名前ばかりであり、方角距離も無駄なく正確である。 
 ところが、北九州の地名を離れると同時に、一転して、一つたりとも此処彼処と言い当てられるような国の名前もなく、方角も後世の迷走を用意したものでもあるかのように、決して正解をもたらさない。 国の名前も、何かの決まり文句を並べたように類型的である。
 この差は、自然には考えられない程にあまりに顕著であり、完璧である。
 卑弥呼大女王時代が日本の3世紀にあって、何度か使いを派遣し、鏡を賜っていた事は事実なのであろう。 そのような一大国の周辺地理が一切闇である、というのは怪しむべきことである。
 方角は、九州を離れると共に、丁度90°南の方に向け直して記したものとして読めば、邪馬台国の位置特定の参考とすることができる。 言われるように、自然に邪馬台国イコール大和国と読むべきなのかもしれない。
 他の紛らわしい類似名はすべて捏造したものと考えてみるべきである
 即ち、北九州の地理及び邪馬台国という国名と女王による外交の事実以外は、情報内容の真実性は問題でなかったと推理することができるのである。 国と人の姿の描写に、正しいと証明されるようなものは一くだりもないということにさえなり得るような、魏志倭人伝文面である。
 従って狗奴国という隣国名も真面目にとるべきではないかもしれない。 参考にも、日本を皮を剥がれて投げ入れられた横転した馬とみなせば、半島は神社の前の狛犬そっくりである。 高麗をコマと呼ぶいわれである。 とにかく狗という字が珍しいくらい、国名が単調で繰り返し的である。 
 (日本が浮草浮木とからかわれているように、半島はまた兎に見立てられることもある。)