魏志倭人伝的な背景の実例に、言葉遣い表現の一つを思い出した。 冗談のようなものである。

 魏志倭人的な方角は一つではなく、周辺一帯に散らすが如きであった。
 御免蒙りたい、とは字の如く朝鮮半島モンゴル国を指向している。
 このような成語表現の場合、言い方は決まったものとなる。 御免も蒙るも元来は、御免蒙りたい、とのみ使われるべく差し出されているのである。
 地下組織は日中間の懸案ばかりでなく、世界的にも、よく言葉遣いを働かしてきている。 取り上げていたら切りのないような言語活動の実績が埋もれているようである。 
 (映画では、ツィーさんは国語教師の人にひたすら眼差しを注ぎ、添い遂げられたようであるが、一面で言えば、日本はツィーさんその人のお顔のような国の形をしている、というデザインであったと思われる。 二三のシーン、日本語発音は活気と情熱に欠けるというような描写ではないかと思われる、ある有名な台湾映画も昨日拝見した。)