ギリシャ理科の祖タレスはフェニキア人であった。

 フェニキア人はいわばハム人である。 つまり遡れば古代エジプト人と同族。
 ハム族古代エジプト人は実によく日本人と似ている。 いくつかの残されている顔の刻像と図像をその関心で眺めていると、まず間違いなく思われる。 
 アジア人に比べれば鼻が高く、眼が巴旦杏のように大きくて眉毛ラインが長い。 顴骨が顕著。
 一方セムすなわちイスラエル人他多くのアラブ人は、エチオピアからイエメンに渡って繁栄の地を得、以後子孫大繁栄したグループの裔であろう、と言う学説が確立されているようである。 これを十万年新人類の渡りのルートと混同することはできない。
 セム族は後に、下に示す前二千年紀の地図によれば、エジプト、フェニキア及びメソポタミアに向って拡張侵入する。
 その後、紀元前二千年頃、アーリア人がインダスを襲う。 また、ギリシャ人がエーゲ海文化圏を襲う。 アーリア人ギリシャ人を同祖と見たいところであるが、定説とはなっていない。
  アーリア人ギリシャ人とセム族が前二千年を挟んで文明地に向かって大きく移動する。 アーリア人が東欧に向かう矢印には疑問符が付けられている。
 ここで粗推理であるが、アラビア人の先祖は何時イエメンに渡ったのか。 ひょっとしたら初期エジプト王朝時代の事ではなかろうか。 人類生存の自然移動というよりも、人事的難民の移動の匂いがする。 以後アラブ人は代々、世界の分岐他派としての宿命を担い続ける。 先ずエジプトの王朝から。 次にはイスラム教徒してキリスト教西洋社会の最大の異教徒として。
 海の向こうの者。 Hebrew 即ち one from across the river. Hebrides (グレートブリテン島北西端のお帽子のようなヘブリディーズ諸島).
 流離の民。 彷徨えるユダヤ人。 即ち、キリストを侮辱した罰として永遠に世界を彷徨う民。 これは上記人事的難民の因となった事件を伝えているものなのか。 彷徨う王宮、幕府というものは、日本の歴史においてもよく再現されているようである。
 歴史を繰り返す伝の推理に拠れば、また、エジプト脱出のモーゼグループに関して、このようにかつては古王国時代は王の近くに親族のように仕えていたのである、という旧約聖書の記述であることが疑われてくる。 エデンの園の追放も恐らくアラビア族内部の裏切り事件を言うのではなく、イエメン渡海前の、エジプト王宮内の treasury に関するある treachery 事件が発覚したことを暗示しているのかもしれない。
 ところで日本人と古代エジプト人及び地中海人との顔の近似は、この間の特殊ルートによる似寄りではなく、抑々新人類は皆似たような顔をしてスタートしたのである。 色が黒くなければアフリカ人も見紛うばかりに似て見えてくる場合がある。
 むしろ、なぜアーリア人ゲルマン人のような人種が登場したのかが問わるべきなのである 北欧人は鼻が怪異のように高く細い。 アーリア人は鼻端が壮大である。 
 ここではこちらこそを人種のデリバティブ、新亜種と想定している。 鼻が大きいばかりでない、揃って眼窩の落差が異人類のように大きい。 初めて見る時は、ある種ぎょっとするような違和感を覚える。 種類の外という感じがする。
 日本の縄文人アイヌ人、アメリカのインディアンも落差を持ち造作が大きいのであるが、アーリア人種とは別系統の発展であろうか。 
 結論として、落差のない鼻の丸い方が古代の証拠から古い人種であって、縄文人的落差型から新人類が始まったのではない、ということが言い得るようである    
 参考  世界大百科事典 吉川弘文館世界史地図 年表 他数冊関係書冊 インターネットウィキペディア 帝国書院高等地図 ビデオ世界遺産