映画のシーンを観て言うのかもしれない。

 精一はシーラカンスと呼ばれ、昔の名前で出ています、と歌われてきた者である。 儀式として肉を食べ血を吸う所を演じさせられたものと想像される。
 映画の場合はアヘン野蛮を徹底的に嫌悪批判された日本の天皇陛下問題が一番のテーマなのである。 勘違いもあった英米白人の悪魔を演じさせられた映画であった。 が好きだから、といっても香港島の事でもあるけれど、精一の父親が特別好き者であるということではない。 精一の父親の事ではない。 薬を使って香港島を食べたという時事物を演じさせられたのである。
 国際化の幕開きの時に、巡り合わせ悪くも、世界史の中でもあからさまにえげつない植民地主義の例を眼にされたのであった。
 結局、後でお色直しのある企画であったと言い切れるようである。
 結論、精一は人を食って生きてきた者ではない。 「こまる」 問題で親にフラレた身の上の者だからといって、親の認知もない者が見下げることはできない。