しかし一見川端康成に似て見えなくもないフランチェスコ・ザビエルが、ナバーラから日本に訪れて初めてキリスト教を伝える。 そして何の意味であろう、後に彼の片腕が日本に届けられているのである。 

 インターネットの写真で見ることができる。 バスク・ナバーラを各王室の原点の地として措定したことがあるような歴史の跡もまた、インターネットで見つけることができる。 ナバーラのピレネー山脈向かい側フランスのポーには、王室の故地の如く王家の人々が訪れる城があるそうである。 日本人との血縁関係を期待する訳でもないが、何かの起点因縁の地としてフランチェスコ・ザビエルの出身地が選ばれていたのではなかろうか。
 何かの山道行進といったようなものが過去にあって、それを記念しているのがツールドフランスピレネー山脈越えであり、サンティアゴデコンポステーラ巡礼路ではないかと疑っている。 とにかく長い長い道のりで、くたくたになるレースであったようだ。 しかし、何人(なにびと)かが長く歩いた事跡があるとしても、日本人の辿った道であるような証拠は何もない。