日中間三千年の思惑と日中間交流の真実とは別物である。 

 例えば、日本の国の形から日本をいろいろと名付けることによって、日中間に関わる世界史プランが立てられてきたのであるが、これはいかにも中国側からの皮肉な眼が主体者として関与した仕事のように思われる。
 しかし実態は、中国人民も中国国家もほぼあずかり知らぬ経歴であったと言うべきであろう。
 渾名の復習。 日本の国土は何と言っても穂を垂れた稲に見える。 それで国名を倭と呼んだものと推理される。
 他に、アキツ、蛭子、蝦子、投馬、浮木、浮草、狐、芭蕉(バナナ)、短冊、・・・(辰巳の方角しかぞ住むの)鹿、(赤投馬と合わせてこれを馬鹿と呼ぶ)。
 鳥なら、トサカとしだり尾の鶏に見立てられるだろうか。 チドリ科のケリぐらいに決着をつけられようか。