三回転着地(あるいはケリ上がり)の仕立てを運命とされていた古代日本。

 例えば、ナ・・・ソ連用形の禁止と、コソ・・・止マメと已然形中止の係り結びに肘を抑えられる。 なこその関とは、勿来と字を当ててはいるが、実はこのような係り結び条件の日本を譬えてこそ言うのではなかったか。 道の奥とはいえ、福島は訪れてはいけない所、と標示する必要が分からない。
 三回転着地のハンディキャップは係り結びだけでない。 枕詞、序詞、掛詞といろいろに背負わされ、結局最後の一言二言だけにかろうじて伝えたい意味内容が残った、というような文学形態は他にはないものではなかろうか。
 このような分、日本文化は洗練された整ったものが多く、簡素で伝統的であるが、コピー的単品的で類的バラエティーにおいて貧しい。 遠慮のない西洋人に言わせると、ワンパターンで手抜きだ、ということになる。
 三回転の抑制例として、日本の宮の辰巳に居ます、稲荷神社というものがある。 辰は中国とすれば、巳は日本である。 辰巳方角の大和からは巳辰の方角地は出雲である。 出雲神社の巨大であった真実の理由ではなかろうか。
 しかし神の月11月はやがて神の無い月となり、都も奈良京都と両盆地の中央に座ることとなる。
 もう一つの例として、日本を女性の国に見立てようとする。 建国神話の天照大神は女性であり、中国正史にも大和は女王の国として表現される。 次の代も女王である。 
 中国の国家が世界史プランに気が付き対応に出たのは、この時一回だけであったと考える。 日本は汝の国であれ、邪馬の国である、と一所懸命に念じているのに気が付かざるを得ない。
 後世、現実に女王の時代にこそ日本は大きな革新を果たし、成長を遂げることが可能となっている。 そして日本こそ世界最多を誇る女王国なのである。 三回転着地の運命にあってこそあり得た歴史のトピックではなかろうか。 因みに、韓国には一人もおらず、中国には一人いたことになっている。 ロシアにも多い。 共同統治伝統の国スペインにも多かったか。