自分達自身についての内部口伝というものには高い信ぴょう性があるようである。

 中代氏の藤原氏就職について、記録者側の立場からいろいろな思惑がなされていたようである。
 記録者は、かつて朝廷から派遣された身の上でありながら後に安倍氏の待遇に厚く与り、学を修め師となるほどの教養人であった。 学林は衣川の関直近の月騰神社辺りに置かれていたのであろう。 
 退塾者が一人日向丘方面に向かっていた。 それでは退塾者の仲間か。
 また日記には日向丘真下で袴垂れのような強盗がいたと記されていたようである。 悪意な者ならすぐにそれと飛び付きたい記事である。 強盗が社中の者で更に退塾者仲間の者であるか、記録者の立場にいる者にとっては調べが付き易い事であったろう。 どこの者との記しはなかったと思われる。 そのような犯人と藤原氏の勤務者とを結びつける推理は全く無根拠なものであり、藤原氏勤務の者を下に置こうとする腹積もりばかりが明白な仕業である。 
 しかし客観的な捜索は日向丘真向いの真衡舘周囲にいた仲間を発見する。 これなら塾外の者である。 学問評価を受ける者でなく、清衡下の兵士であった者である。 学問の独立した足場から見れば、清原にいるもきょろきょろしたことに見えたであろうか。