更に彼の者の人生経歴に寄せられた解答例の一つを。

 数学科の長崎先生の事を思い出す。 一族大勢の中からどういう訳か一人上の家に関心を持ち、中学時代の事か遥々平泉近在から北上市まで自転車で通った経験者であり、岩手大学で空手部の主将を張り、担任として上の家の者の前に立つ。 高校教師の身分ながら故意に位落ちして中学生の前に立つ、という趣向であろうか。 中代は北上川沿いの散歩にも付き合ったであろう。 同じように、彼の者はガタ旧式自転車を持ち出して、北上川沿いの国道上を、級友に連れられて二人だけのサイクリングロードレースに出る。 この時にこそ、残念にも弟分にされているという明らかな意識を抱かされる。 長崎先生と同じ距離走ってみろ、という事でもあろうが、この遠出によって、如何にして彼はスタート時点で後れを取ったのか、の解答が示される。 その時の乗り物(自転車ギア−腹具合)にガタの差があったのである、即ち体調不全であった。
 彼は足が早かった。 「置いて行かれちゃう。」 中代はノロという渾名を頂戴していた。