一連の活動は、藩が関与してこそ領民が共々素直に頷き、始められたものと推理することができる。

 西の家籠の鳥作戦も、藩招待の井藤氏加東氏先祖が入れ代わり的に登場するための前段階となることでもあったのである。 
 神社お祭り詐欺作戦によって上の家は空き、代わりに井藤氏が入る。
 片岡は書割舞台のような閉鎖空間になっていたのであろうが、どのような人が立ち入っていたのであろうか。 一人重士を果たしてしまっという口伝えがある。 間違いなく佐橋氏のことであろう。 佐橋氏は地域のかつての城主子孫であった。 この佐橋氏の入れ替わりに加東氏が招待され、藩士に取り立てられる。 これ以前佐橋氏の一人は妙に風雲の気に捕らわれ、番所前で切り捨て御免の刑罰に服する。(渡辺真智子の迷い道はこの若者の事を思い出して歌っているのである。 女性はこの時シベリアを歩いていたのか。 下の家の先祖お富さんの可能性がある。 碧祥寺周辺からスタートした女性でなければならない。 女性一人一人に語らせたのであろう。 スペイン広場の星影のステージに擬えたものに違いない。 これを名付けて唇料理というそうである。) 更に佐橋氏は無法集団活動の責任者として処罰打ち首となり、以後藩士の位から転落する。 この時藩は本気で残党の謀反計画を疑ったようである。
 とにかく終始、片岡疑惑には藩は調べにも立ち上がらず、西の家の者が疑われ引き立てを喰らうこともなかった。
 一度指示のままに片岡舞台の外に出て、三匹の侍に出会わされたことがあったという。 この男連れも組織が用意した登場者であったに違いないが、今に伝えられる風貌から海外からの上陸者のように思われる。
 運動三千年に通じた者達で、一人は日本雪会式は千秋に実る、と誓言して上陸した遥かな周夫渡世人の子孫でもなかろうか。 周恩来氏の遠縁者が、江戸末期にも関東に入っていて組織計画を担っていたというような話を聞いたことがある。 日本人と縁があるとかの話ではなかろう。 警戒されない愛敬顔、という所に共通性がある。