落とし穴の中の西の家の若者は、白く輝く雲を手で掴むようにして息を吐いていた。

 空の雲も夢さえも手で掴めると信じていた。
 その雲を今この瞬間に手で掴み一体となれる、と信じていた、という意味であって、明日に自分の身の上に実現できる、と希望に燃えていた、という意味ではない。
 見つめることで人生の収支計算の決着を遂げ続ける他なかった。
 藩の仕事であったと新町の代官役所にまで出かけ、生活費を請求したのは、絶対に認識正しい事であり真っ直ぐな行動であった。 暁闇の中 4 時間も見つめ続け考え続けて、遂に鶏に手を掛けた、と誰かが物陰で見ていたような報告がある。
 かくて西の家の家族達は身を転がしたように「フォーク」の上の被給仕民となる。 「フォーク」の三本の坑道の内真ん中の一本から直接家の中に、塩漬け「ホッケ」が届けられていたという。 江戸時代にも長い穴が掘られていたという事が分かる。 ユニクロ作戦の二本指眼球抉り出し殺人という鮮やかな殺人技も、組織のゴロワークが考え出した手ではなかろうか。 情け容赦もない二分間の熟練仕事であったという。 (上の家交替劇の犠牲者の一人を姉とする者の子孫が頼まれていたのかもしれない。 また、今一人の関係者として雀の渾名の家の人達が身近にいるのかもしれない。 後者の、無関係人のように 「私は離れている」 という言葉に、事件の真相が仄めかされているようである。 鉄製の武器による一発の打撲の痕があったという。 ― これで仙台の叔母さん家の母親と長女と長男の方達のそれぞれの前世が見えてくる。) 三本間で挟殺、という言葉があるが、語呂合わせに作られた言葉と考えるのは思い過ごしであろうか。
 世界史三百年の世界のステイ役の背後に、組織がいなくなるようなことはなかったであろう。 阿片を含まされ続けていたのではないかとという疑いが生じてくる。 「ネズミ取りにやられて寝転がっている」 村人は阿片という薬の名を聞いたこともなかったであろう。
 そして藩にお咎めを受ける事は一切なかった。 誰が為に鐘は鳴る、という有名な題名の文句は、地域一番の名家、上の家(金の古家)の破滅を予言した碧松寺の和尚さんが、神社参道の末に座って鐘を鳴らし続けるのを、組織がいぶかって問い質した言葉であった。 藩は西の家の者を気の毒に思うだけであった。
 西の家の若者の潔い直進性には組織は大感銘を受けていたようである。 この潔さを讃えるように、「誰が為に鐘は鳴る」の端的描写表現文学が誕生したのではなかろうか。 「きっといいことだろう」と突っ走ったのであった。 
 真っ直ぐに落ちる変化球が、二本指のフォークボールであるというのも偶然にしては付きすぎるではないか。
 直進、直下。 西部警察の面々は際立って背が高くて、さらっとした若気の、直下顔であるべくあった。
 雲を見てOKと言えるか? 野中の人として目撃された人々に掛けられた、組織への誘い言葉であった。 西洋において少なくない人数の組織関係者がいるようだという。 顔が雲のようにでこぼこしている、女性の場合瞼の厚い、雲のように柔らかな感じの特徴の人がいる。 雲ちゃん南ちゃんのように。 著名人の思いがけないような広がりのある公分母となっているようだという報告があった。 この場合も、簡単で直下的な OK の誘われ方であり、承け方であったようだ。 OK と言えるか? OK で契約成立した OK 牧場の面々。