このように無計算素朴であるのが西の家の者の特徴である。

 その正反対に、西の家の出門分家の者が、嘘吐き出船を無理矢理提供されたことがあったそうである。 ・・・だけが悪い、と真実もない事を言い触らし、得点計算に心を執らせようとする。 しかし嘘は言わない、と身を持しているに違いないであろう。
 (昔は嘘を言わせられて部落の者をだましてい者がいたようである。 新しい西の家の家族に、あれはいしだあゆみのように泣きそうな頬をしている。 飾りじゃないのよ涙はホホーッて、膿道を真っ平らにへずられて鼻汁をちゃんと飲み込むようになっている。 タンパク質が足りないので、汁でももったいないからである。 気持ち悪い話である。 
 確かにタンパク質対策はあった。 ハードウェアだけは確保しておこうという、工夫というよりは用心である。 決して風邪をひかさない、という最低線保証である。 夜間のかい巻担当というぐらいのものであろうか。 「公家−下の家か−いるな。」 最後の請け合いにジュディ・オングさんが歌を歌っている。 今の所命に別条がなければ、目に一丁字もない野生児であっても後に役に立てられる、という観察実験例が確認されていたのであろう。)