次には、高橋精一の事。 応援に駆け付けた高塚氏。

 大概は組織背景の事実ばかりを指摘しているのであるが、家庭内のプライバシー、親子両者とも認知し合って文句なし、要らぬ詮索ご無用と言いたい世間が多いのかと思えばそうでもないようである。
 顔が遠慮もなしに親と異なる、地下の扱いが大胆に拉致的である、等明明白白である上にも、工作的大規模人数の国土事変である事の認識も共通となっている。
 他人の嬰児をタコかイカのようにバケツに遺棄しなければならない。
 しかれども証拠を提出して追及に及ぶ親がいるわけでもない、赤ちゃんの時から抱きかかえ可愛がって育ててきた弟であり、お兄ちゃんである。 個々人の環境としては、戸籍通りに系図を辿るのが礼儀であり、人の情に違いない。
 しかし高橋精一の場合は、誰も上の家の長男清身の遺児と考える者はいなかった。 駅前旅館清身は30代で結核の病に仆れている。 鹿児島長子のお定めは天命であった。 藩重臣の指導で三基もの墓石が立てられていた。 紫モクレン南天せよ、と玄関前右左対称に木蓮南天の木が植えられている。 そこで白昼紛れもなく上がって来たのが精一であった。 赤ちゃん遺棄よりは正直な事ではあるが、逆に、流れによっては面前とした事であり、抵抗と軋轢が生ずる。
 精一はあまりに未経験者であり、気持ちが小さかった。 上がり代として、時価2,3000万円の現金を「輸送」していたという。 上の家現住人全員にお引き取りを願うこともできなくはない。 実際に京都移住案も上がっていたという。 彼の上の家の人達なら京都にどうぞという関連の先輩世話人もいなくはなかったであろうが、不発に終わる。 
 集落への上がり口で西の家の家族に出迎えを受け、大口貰ってちゃんと上がりなさい、と激励を受けたそうであるが、どのようにも、玄関に立って一人挨拶する度胸が湧いてこない。 言葉の一かけらも予定できない状況であったのだろう。 人を介する場合であった。 「私は貝になりたい」 
 ここで更に西の家の田部井さんが現れ、留守中上の家の中を案内する。 気持ちを大きくしてとにかく収まらせようという志に他ならない。 嘘を吐いて六部みたいなことまで口にしてしまったのかもしれない。 細長い干し柿をどうぞ。 どうせ相続は藩の命令で始まった事であった。
 しかし口上は舌に乗らなかった。 遂に暴力案が浮かぶ。 誰との話し合い手伝いで始まった事かは、映画「ヒーロー」のキャスティングが参考になるであろうか。 精一は髪を長く伸ばしていたようである。 短剣を渡される。 秘殺の剣と名付ける。 彼の林中で秘かに練習せよ。 
 ヒーロー導師はしかし、六人もいるのだぞ、六人もやれるか、と言葉をかけたのだという。 
 地域担当の活動員が現れ、俺達は小休止しているのだぞ、正面でぎね者いるが、命知らずだぞ俺達、と挨拶に近寄ったそうであるが、精一には通じなかったと思われる。
 先ず妹娘を襲う手筈となる。 なかなかからかっていたようである。 ははぁー、こりゃ偽者日本人だな、昨日まで韓国語しゃべっていた者ではないか。 それでこったに口が出ないのだ。 あのと、分がるが、あのと、(漢文読みだべや)、あのとが聞こえたらここからホップする。 精一はそこでホップするまで、何の一つ事にも動けていなかったと想像すべきであろう。 あのと即ち足音の古文読みであった。
 あるいはヒーロー導師は地域の歴史に疎かったのかもしれない。 1900年頃、やはりある種のエーデルライン計画で上の家最接近に押し付けられた家族であったようである。 これだけの膝寄せは稀なることであった。 一説には、ビクトリア女王陛下15分間のお心配りに基づく派遣案家族であったという。 (ルーツに経歴を有するグループの中に、この家の屋号を名乗っている場合があるようである。 ブランコしたのだ、という一報が入った。 「私はどうしてここにいるの」 という 「人間の疑問」 契約みたいなものに与っているようである。 ―明日にきっと人間性がある。 焚火の炎明かりが胸から去ったことはない。 兄として、パイロットランプのようにそのバッジを帯び続け、悪戯の果てと覚醒 (「うつつに返る罪の深さ」) の日の為の理想高い導きとなろう。 以上は個人の問題ではないが、個人の半生においても、登山初体験たる早池峰登山や都初通勤社員の現場において、兄等の高い導きに巡り合わすことがあった。) 鹿児島長子など誰にも聞いたことがない、先住者以外に上の家の正当な住人はいない、暴力行為に及んでもはや却下されるばかりであろう。
 以後は、輸送してきた現金もすっかり預けてしまい、地域住民にばら撒かれてしまった後の事である。 結局、「彼らは武士だった」 団体が周囲に勢揃いしているではないか、となったようで誰もが沈黙して、止む無しに精一は縁側地面から室内に引き上げられる。 肝心の上がり代現金が全部パーになってしまった、あまりにも愚かな、行き違いの末の落着であった。
 ところで精一はどうして長子に選ばれたのか。 どうしてそんなにまで口下手で気後れしているのか。
 ルーツの遡りにはいくつかの案がある。 しかし精一個人の半生のルートは概ね明らかである。
 小学生の時に建具師の家に預けられる。 その家にも小学生の息子がいて、精一は家族を思い出して泣き、その様子を見て気が変になって泣く、子供二人が泣き悲しがる家となっていたという。 子息は後に東大物理学部の教授となりノーベル賞の名誉に与ることになる。
 この養家案は、「でぐ(大工)に頼むしかねぇな」という思い付きに過ぎないのかもしれない。 「池水は濁りに濁り―」 「土左衛門の泥人形に頼むしかないな」 (肌色が茶色いことを言っているだけか。)
 「松岡きっこ」の親戚の家とも考えられる。 可愛い可愛い魚屋さんと夫婦になったそうであるが、そのペアを記念して女優と男優が手を繋いでいた。 印象深い事であったのであろう。 魚屋さんはイラン人みたいな英女性の殺害を疑われていた。 この間もイラン系の女性の顔がブラウン管に溢れるようであった。 魚屋さんは陶工郷士団の家の長男であったが、兄弟げんかの末に父親ともぶつかり、放浪中に英女性と出会ったということになろうか。 剣道場副将の名誉に輝く家柄であったという。
 精一の父親は郷士村においてその魚屋さんの戸籍を相続する。 その縁による建具師預けと考えられようか。 
 従って精一の父親は英女性殺害犯の嫌疑も相続し、指名手配中であったのである。
 精一児童は早くに家族を失い、社会に恐怖観念を抱いてしまったようである。 「足し算」という言葉かあるいは足し算というものを知らないでいたというから、小学3年生ごろには学校教育に全く無縁の身の上となっていたようである。 毎日ノミを手にして、預かり人稼業の建具大工の仕事を手伝うばかりであったという。
 中学生の年頃にいきなり玄関先で暴漢に襲われる。 五寸釘でズポンを裂かれ、痛さの余り側に置いてあった鑿を手する。 一刺しであったか。 「はらこいたいか、はらこいたいか」といつまでも倒れた男の刺し傷の辺りを撫でていたという。 これは、剣道場副将の遺伝子を証明する試しの受難でもあったろうか。 
 それからどうして長崎に辿り着いたのかは聞かされていない。 逃亡者の身の上で、ひそかにボートを漕いで暮らしていたという。 教育の心配をする保護者もいなかったであろう。 同年の話し相手もいなかったであろう。
 とにかくも未だ未成年者無教育無職の者であった精一も、米作農家の長男という職業に初めて就職し、刻苦精励規律の気骨を発揮して、一家の労働主体者となる。
 「ホウレンソウ」 さえあればスーパーマンに変身できる、と言われたのはこの時期であった。 労働の後に、夜も寝ないで独学努力を重ね、専門学校卒業者の資格を得る。 西の家の婆さんが言った言葉が響いている。 兄の清身よりもっと静かで深い。 惚れ直した。 何かのこぼれ花であろうか。 「おだまり、あなたその手で何人だました」 (現場の加東氏も感心したようである。) さすがに一家もこの時以来統一されて並ぶようになったという。 (「春が来て君はきれいになった」 弟は春実という名であった。 裏話によると満州からの寄せ身であったという。) ― 何の嘘も仕掛けもない、謙虚に働くからなんだよ。
 しかし上の家の者は立たなければならない。
 町議をやれ、誘いがかかったという。 役場のある町に出かけて、挨拶に回ろうとしても、どうしても玄関での口上が舌に乗らない。 一生涯の玄関恐怖症に掛かっていたようである。 前述の玄関先ノミ刺し事件が祟ったということなのであろう。
 英国には、三等官レベルの者が種子島に寄って、島の娘との間に不倫の子供を産んだという伝説があるらしい。 とにかく生真面目で絶対に持ち場を離れない、融通の利かない遺伝子が選ばれたというような暗示である。 この暗示板ではクラークゲーブルも登場してやはり父親の疑いをかけられている。 クラークゲーブルは間違いなく当地別家系の先祖である、と決まっていたようである。 「逃亡者」精一の役回りも担わせられる。 似てないか、似てないかと映しているように見える。  別家系とは地域一番の名家加東氏一族のことに他ならない。 風の音を聞くニヒル竹脇無我、因縁の薄い風来坊というキャラクターがぴったりである。
 もしかして、行き違いでなく、クラークゲーブルもいたという、単純な和算報告であったのかもしれない。 もう一人はカリフォルニア州知事みたいな家族思いでのんきな心の温かいタイプ。 三等官というのでなく、三人関係者とでもいう音だったのかもしれない。
 この伝説によれば、王室の者の被害を逆倒して倍返しされる。 吃音者と等しく口が利けない。 対人恐怖症である。 話し相手がいない。 部屋に蛇がいる、という触感演出の命令まで下されていたことがあったという。 なかなかのサディズムである。 
 種子島の娘はみちのく右衛門子孫の展開例であったと思われる。 
 はっきりしていることを記せば、父親は大胆に傷病棟戸籍搬出契約を組織と結ぶ。 真昼間リヤカーで結核患者の遺体を段ボール箱に詰めて、留守中のカナダホームに運ぶ。 肉を干していたという。 患者自身にか家族にか葬式を上げないことを認めてもらう。 患者は生きて病院を出、必ずやこの世の花となる夢を見納める、という手筈であった。 青天白日下満面真赤の力持ちとはこの時の姿であろう。 デカルト、カント、ショーペンハウアーの明日の決着に飲んでいたのは、しかし生血ではなく、ワインではなかったろうか。 血というものは腐り易いものではなかろうか。 まして患者の血とは、あまりに乱暴である。 ワインマンズクラブ。
 カナダホームで生肉干し。 警察が何を言おうと、市民が信じられることではない。 子供を専門に誘拐していたのではないかという疑いがかけらたという。 その反証証人としてかばってくれたのが高塚氏であった。 後に陸奥の鉱山夫となり、脚早く上の家の叔母を嫁に迎える。 後に訪れる予定のデカンショマンの応援に駆け付けたものと想像されよう。
 伝説ルートにおいては、精一の祖父と高塚氏の父親とは同船の同士であったに違いない。 高塚氏の父親は、「論理学」の著者を家族とするオーストリアの鋼鉄王子孫であった。
 精一は度々の病気と闘い、年金生活のゆとりも知らずに66歳で、その勤勉規律の人生を終える。 人にものを頼むこともなく、動ける限り自らリヤカーを引いて田圃と家の間を往復する晩年の姿を思い出す。 ボーナスも退職金も知らない、冗談でない、まことに不運なはかない人生であった。