上の家の家族は本内系の子孫ではなかった。

 精一が白昼歴然とした鹿児島上がりの者となると、黒白の如く曲げようもない事実となる。
 ところが、集落の因縁風評の泥となると、全部、全く無縁なはずの上の家の家族にぶっかけられる。
 このような汚い、無茶な、他人をアカロク呼ばわりする欺瞞作戦が世の中に堂々とまかり通っている。 地下員の中にもその非道さを自覚していて、後で罪滅ぼしに真実の打ち明けを遂げる気だ、と語っているという。 ―黒白逆なんだものや。 我ばりロクブだの式次第がねね。
 黒白の真っさかさまを、自らの努力で正大に訴え露わに表現する社交場面もあったそうであるが、それがまた地下員の誹謗熱を刺激し上昇させてしまったということがあろうか。 まことに、「運動」とはそもそも自分本人欺瞞強盗を働かせる謀略無残の仕業であった。 昔は単純に暴力搾取の身分社会であった、ということは確かにある。
 今再びロクブ誹謗についてその事実のいくつかに触れてみたい。
 上の家家族周辺の半可通世間においては、言い触らし工作の甲斐があって、簡単にもロクブというと上の家一軒の家族を指差す。 しかし、繰り返せば、父親精一は本内縁者ではない。 嘘を吐くものである。
 次に、新太郎家の施設子孫達の大人数展開があって、秘かにロクブ呼ばわりされていたようである。 中の家の分家かと思われたのであるが、実は 「付け上がり」 縁の家族達であったと言われる。 付け上がり即ち施設育ち。 問題は何を付けたかである。 元上の家の血筋ではなかろうか。 結局、元上の家の子孫達と、父親縁か母親縁かの違いを問わない限り同列の子孫団仲間ということになる。 大きな違いは江戸時代中の登場であったということ。 地域におけるある種の活動歴があったには違いない。 中村一座の接待役を任じていたことは推定され得る。 婿殿、と折角のたすき掛けのお膳の呼びかけにも、なかなか中村モンドは心を許さない。 折れた煙草の吸殻であなたの嘘が分かるのよ。 最早日本人外国人の違いだけが問題であったのか。 睡眠中の娘が襲われる、という事件があって、互いを不審の眼で見る間柄となっていた可能性がある。 更には新太郎家爆破事件にまで及んだ緊張関係さえ想定される。 中の家の家族達とは如何なる付き合いにあったのか。 上の家の相続を不当とする反乱戦を共にする仲となっていたというようなことはあるまいか。 旧家であるから 「旅立ち」 のスタートは早かったに違いない。 昭和様の御母堂にも疑う人がいる。 出会いの世間の狭い、近代王政社会の人事である。 最初の役回りから、食事の用意というお勤めを頼まれる場合があるようである。 この間の上の家の姉娘と末娘の二人は、この新太郎家からの密輸入であったと推理する。 美佐子、富美子と三文字の名でそろっていた。 すなわち第三の男達の実家ということにもなる。 他にはあるまい思われるような二枚目が並ぶ。 渡部謙、高橋英紀、・・・山城新五、大川橋三、三船寿郎 (母親の縁)、三橋美千也・・・ 「三代目襲名」という映画があるが、儀式付け上がりといった無実体グループも考えられなくはない。 とにかく古城の武将様然たる立ち姿である。 美の名に与かるべきしかめ面の若者であったという鑑札であろう。 
 他にも、元上の家自体の子孫達もロクブ風評的に脅されている個々例があるのではなかろうか。 小沢伊知郎氏もその例と思われる。 上の家子孫は和歌山方面に向かったようである。 先祖の出身地であった。 びっくりこいであっち(上)いったりこっち(北)いったりしてしまったというお荷物を小沢氏は担わされているようである。 お姫様方各人も御同様であったか。 知事と知事候補者達。 薄衣工業の社長さん。 君の名はの岸圭子さん。 「押っ詰めてもいいのだ、押っ詰めてもいいのだ」などといった脅し文句で捕捉中の女性を、子孫多勢の母親とする。 母親は施設子孫ではあるにしても、辿れば殿上人紀氏一族の上の家の子孫であった。 
 「おっ詰めてもいいのだ」とは、地下組織因果の原点において、上の家の神主たるものが肉欲に目を眩まし、池の底に証拠隠滅しようとしたではないかという先祖の言葉をリフレインしているのである。 そんなに明らかな凶悪はあるまい、それを司直の者は、正当防衛だな、正当防衛だな、と念を押すようにして罪を免れさせようとしている。 世の中真っ逆さまではないか。 実は上の家の代替わりを狙って謀ったことなのだ、と一言洩らせばよかったのであろう。 更には中の家の者の憤懣、これも計算通りであったろう。 胸が動悸して止まない、といったって電気仕掛けの仕事に違いあるまい。
 何が何であれ、中の家案山子を組織は見捨てようとはしない。